僧侶としての人生を歩むべきか
私は現在適応障害を発症しており今の仕事を退職予定です。去年、無くなった祖母は自宅で庵をしておりました。
僧侶として人生を歩むと言うのは私と同じように精神疾患があったり悩みがある方への少しの力にでもなればと思いますしもう一度祖母がやっていた庵を復活させたいと思っております。
今回の適応障害が私の一度目の人生が終わったと感じ、残された命を仏様のお力を借りながら一歩ずつ歩みたいとも考えております。ですが、一歩踏み出す勇気が中々でずに気持ちが先走るばかりです。どのように踏み出したらよろしいでしょうか。色々な僧侶様からご意見頂ければと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずはあなた自身が救われること
人を助けたいと思うその気持ちは素晴らしいものです。
しかし、あなた自身が間違えないと確信を持てるぐらい救われない限り本当に人を救える力はないと考えた方がいいとおもいます。
私も禅により救われた1人です。しかし、まだまだ人を救える力はないと思っています。たまたま生まれた場所が寺だったので出家するのは当たり前のようでしたが、近くにあってもそこに目を向けない限り救われることはないのです。
あなたが本当に仏道を実践し救われたという体験があったから出家を考えてもいいかもしれませんよ。
救いに在家も出家もありませんから、今あなたの体のあるここで出来るのが修行です。いつでも誰でも出来るのです。
そこを学びたいと求めてください。禅を学び実践してください。
そしてあなたが救われた暁にはその体験を人に伝えて行くことで、救いのヒントになることがあるとおもいます。人を救うことは多分誰にもできないこと。その道を指し示し、実践するよう促すことが僧侶の務めなのだと思います。
まずは師僧をみつけること
僧侶になるには、
まず師僧(あなたを弟子にしてくれる師匠)をみつける必要があります。
師僧のもとで、得度を受け(出家させてもらい)、僧籍(各宗派の僧侶名簿)に登録してもらう必要があります。
その時点では、まだ小坊主になっただけです。
(師僧のお寺の所属小坊主に。)
住職になる資格や、葬儀をとりおこなう資格を得るためには、各宗派で定められたカリキュラムに基づく修行・儀式を受ける必要があります。
修行を受けるには、当然お金(学費)が必要です。
師僧や所属寺院がお金を出してくれない場合は、あなた自身が学費を用立てる必要があります。
修行を無事終えるためには、健康も重要です。
まずは師僧をみつけ、修行に耐えられるかどうか、師僧に判断してもらうのが良いと思います。
宗派によって修行の厳しさや大変さは違うでしょうから。
質問者からのお礼
私のお話を聞いていただきありがとうございました。