本当の自分
20歳独身の男です。自分は昔ナルシストでした。できもしない事でも自信満々で自慢が大好き、周りに褒められたい、良くしてもらいたいばかりにかっこつけてばかりでした。それが原因で小、中といじめられて高校では自分の本性を隠して性格を治す事ばかり考えて生活していました。高校を卒業する頃に新しい悩みができました。
それは自分の事が受け入れられなくなったという事です。何をするにしてもまず他人の顔が思い浮かびなかなか行動に移せない、他人の意見には迷わず従う、毎日が無気力でだらしがない、声が小さくなって目を見て話そうとすると子供が相手でも喉が震え声が出なくなります。今でも心の奥から「こうすればかっこいいだろ!」とか「もっと目立つ事しようよ!」とか「そんな事思ってないだろ!正直に言え!」とか「困っている奴がいるのにどうして無視するの?」という思いが湧いてくるのですが心のどこかでシャットアウトされます。このシャットアウトしようとする心をどうすれば消せるでしょうか?
みんなは自分の事を優しいと言ってくれます。真面目だと言ってくれます。それなみんなに嫌われたくないから。喧嘩したこともないです、「お前は俺と気があうな!」なんて言われます。本当は違います、違うところで他の人とあなたの事をバカにしてます、そうすれば嫌われないから。でもあなたの意見にはことごとく同意します、あなたにも嫌われたくない。でも二つの対立に挟まれたならまるで関係ないという顔でふと消えるでしょう、そうすれば自分は平和だから。
本当にクソですね。もう嫌われてもいいです、ありのままの自分でいるなら。でも心の中の何かが上から押さえつけてきます。今の状況が苦しくて耐えられません。本当の自分が受け入れられないです。どうすればこの抑えを跳ね除けられるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本当の自分、心とは・・
Isa様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
実は、本当の自分というものは、どこにも無いのです。。
といっても、何もないという虚無・絶無ではありません。
まあ、色々な他に依って成り立っているものとなります。
仏教的には、「五蘊仮和合」と難しい言葉となりますが、色々な因縁(原因と条件)によって成り立っているというもので、自分は「これだ」と永久永遠に変わらない実体的な何かがあるわけではないのであります。
心というものも、そうです。何が心であるのかなど、「これだ」と言えるものも、どこにも見当たりません。受け入れるも、受け入れないも、本来、その実体は無いのであります。実体の無いものを実体があるかの如くに囚われて迷い苦しんでしまっているところがあるのであります。
全ては因縁なるもの。善き因縁に依れば、善きものとなり得ます。自分も、心も。
その善き因縁になるものを、お釈迦様がお説きになられておられます。
是非、これを機会に、更に仏教について興味を持って頂きまして、学び修していくことにより、善き自分、善き心を形成していって頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
あなたの人生ですから
拝読させて頂きました。
あなたがそう思い言葉に出して行動すること、そういうときもあるのではないでしょうか?
人間は未熟で不完全ですからいろいろと試行錯誤して暗中模索しながら己れの生き方を探し出していくものです。
あまりとらわれ過ぎてしまいますと迷路に入ってしまったようになんでも迷ってしまうものです。
それだけあなたが思っているということは真剣に考えておられる証でもあるでしょう、それでもなかなか答えは出てこないものです。
人生そう簡単ではないですからね。
様々思い悩みながら成長していくのです。
あなたがこれからもご自分のお気持ちに素直にお向き合いなさり、己れの人生や生き様を見つけ出していかれて皆さんと共にお互いを尊重なさりながら充実した毎日を送って頂きますようにと切にご祈念申し上げます。
あせらないで頑張ってくださいね。
質問者からのお礼
今の苦しみも今までの関わりの中でできたものなのですね。良い関わりを持てる生活を心がけて見たいと思います。ありがとうございました。