過去に傷つけた・傷つけられた人たちへの思い
連日の投稿失礼いたします。
前回、前々回とお坊さまにご回答いただき本当に感謝しております。
次々とマイナスな感情が押し寄せている状況で、またこちらに質問させていただきたいと思いました。
過去に傷つけた・傷つけられた人たちのことを考えてしまいます。
傷つけた人は、仕事中にきつく言い過ぎたため泣かせてしまった後輩たちのこと。
傷つけられた人は、私をバカにする・見下す・自分が優位に立っているかのような発言をした後輩たちのことです。
女性だけの部署だったためかギスギスしたり仲良くしたり色々ありました。現在は退職していますが
当時はそんな部署から異動できた直後に後輩たちの連絡先をブロックして関わらないようにしていました。
あとから、後輩が私宛にメッセージを送ったが返事がこないと言っている、と聞きましたが、その時は私には届いていない、なんでだろう?ととぼけたのですが、今になって流石にブロックはやり過ぎだったと後悔するようになりました。
そうなると後から色々考えてしまうようになり、傷付けた後輩は私よりかなり若かったのに意見を押し付けてしまい申し訳なかった。や、年上の後輩にはキツく言い過ぎたな、でも、私を見下す発言をしたり私ばかり我慢することもなかったのでは?と言い聞かせてみたり。
前回までに質問した内容を悩んでいる間に、もう数年前の出来事なのに鮮明に思い出してしまい心が苦しいです。
できることなら、①傷付けた後輩にはあの時のことを謝りたいです。でも、それは自分がスッキリしたいだけで、後輩は忘れたがってるのではないか、でも、私の言葉で今も苦しんでいるかもしれないなど色々想像してしまいます。
②傷付けた・傷つけられた後輩には、今でもバカにされているような気がして、勝手に対抗意識と劣等感を感じています。SNSを見つけて監視までしてしまいます。でもキツく言い過ぎたあの時のことは誤った方がいいのだろうか、いやあの人には私も傷つけられたから謝る必要はない。
③傷つけられた後輩には、自慢ばかりされ、しまいには社内で私の秘密を暴露され噂を広められたのでいつか地獄に落ちればいいと恐ろしいことを考えてしまいます。
①〜②の後輩も退職しており連絡先は不明ですが知り合いに聞けば分かるかもしれない状況です。
分かりづらい文章で大変申し訳ございませんが、どうか、私をお導きいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自戒を込めて 生きていく。それが大人。
人間とは、自己中心的な考えしか出来ず、勝手な生き物です。それゆえに、知らず知らずのうちに、誰かを傷つけたり、傷ついたり。
私も以前は女の職場でしたが、なかなか厳しい環境だな〜と質問を読ませていただきました(^_^;)
振り返り、反省や後悔を今後に活かす、そうでないと自分自身の成長もないまま、嫌な人間に成り下がってしまいます。大事なのは、そこだと思いますよ。
直接の謝罪も良いですが、互いに言い分も出てきますし、それをすんなり受け入れられますか? また、相手の言動をチェックし続けても、自己満足でしかなく 虚しいだけ。
懺悔や反省は、そのまま抱えたまま というと重たいですが、自戒を込めて 生きていく。それが、大人になるということです。
質問者からのお礼
中田 様
ご回答いただき有り難うございます。
今までの私は何て罪深いことをしてきたのだろつと、最近色々と重なりようやく気付くことが出来ました。
ですが、罪の深さに気付いても私ひとりではどうして良いか分からずカウンセリングに通う日々です。全て自業自得です。
そして、確かに相手の言動をチェックした後は満足するのですが、その後なぜ見てしまったのだろうと後悔の繰り返しです。もう見ることをやめます。
きっと過去に囚われているのは私だけで、後輩の誰ひとりとして、もう私のことは気にかけていないのでしょうね。
自分がしたことは自分に返ってくるといいますが、今まさに痛感しております。
今後は人の道に外れぬよう、自分に厳しく人に優しくあろうと思います。
また質問をさせていただくかもしれませんが、ありがとうございました。