正直に言うべきでしょうか
私は最近取り返しのつかないような嘘をついてしまいました。正直に話してしまったら将来への道が閉ざされてしまうかもしれません。
嘘をついたこと自体が悪いとわかっていますが、その先のことを考えるとどうしても怖くて話すことができません。でも罪悪感に潰されてしまいそうでもあり、とても苦しくて消えてしまいたくなります。
絶対に諦めたくない夢ですが、正直に話すべきでしょうか?話してしまって、もし道が閉ざされてしまったら他に考えている道は1つもありません。
嘘というのは1つ前の質問と関係のあることで、学校に行きたくないがためにこの嘘をついたのです。とても苦しいです。自業自得だとはわかっていても、自分を守りたくなってしまう気持ちもあります。
どうするべきが正解なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悪いことをしたら謝るのは筋
特に理由もないのに行きたくない。
これが問題な気がします。
理由がないから理由を作りたくなる。
いじめにあっているとか、何か理由があれば行かなくてもいいという話になるでしょうが、ただ行きたくない。これは、自分の思い気持ちをあまりにも大切にし過ぎてはいませんか。
思いはただの思いに過ぎない。放っておけば消えるもの。学校生活でも仕事でも、楽しいことはある嫌なこともある。しかしその気持ちは握らないでいると時間と共に消えて無くなる。
気持ちや思いは事実ではなく幻のようなもの。
先日人前でお話するような機会がありました。話す前は緊張して、人前で話せないのではないか、失敗したらどうしよう、人にこんなこと思われたら、など色々想像して嫌だな逃げたいなあと考えていました。←ここまでは思いの世界
実際話してみると、緊張もせず一人一人の顔を見ていても問題なく話せていることに気づきました。同じ人間、敵でもなんでもないわけです。人がどう思っているかも気になりませんでした。ただ伝えたいことを声にしている自分がいました。←事実の世界
事実って思いとは違うものです。全くちがうもの。だからこそ嫌だから行かないという、選択はあまりお勧めできません。少しの勇気と勢いは必要です。嫌だという思いを握らないこと、目の前の今、に目を向け、事実に徹するのです。目、耳、鼻、舌、身体の五感をつかい、今にいきるのです。リアルにいきるのです。
嘘をついていることで苦しむなら謝るなのが良いです。自分で蒔いた種、都合のいいことばかりではないのが人生です。思い通りにはならないのが当たりまえですからね。