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もう限界

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自分で考えて作り上げてきた自分だから、ちょっとは自信があったのに、少しは自分を愛せていたのにそんなもの木っ端微塵にされて、自分の卑しい所や醜い所しか目につかなくなって毎日毎日泣いて。でも悲しみはなくならない

誰か僕の話を聞いてよ。もう壊れちゃうよ。
もう耐えられないよ。助けて。

大事なこと、サボってきたことは認めるよ
でも、こんなに辛いものなの?どうすればいいの?何をすればいいの?いつまでも休憩はしていられないよ。腐っちゃうよ。それは怖いよ。
いつまでグズグズしてるの?もっと自分が嫌いになっちゃうよ。何をすればいいの?どうすればいいの?どのくらい頑張れば上向くの?それまでのエネルギーはあるの?

もう嫌だよ。苦しみたくない。苦しんだ先に何があるの?また、深い谷がありそうだな。
もう八方塞がり。お手上げ。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

リズミカルなお悩み文章ありがとうございます。
こちらもリズミカルにお答えします。

そんなに自分を責めちゃだめさ。
ダメだダメだというのなら、自分をDISる自分に言おう。
もしも痛みと悲しみ無くすなら、
作る前の自分に会いに行こう。
ホントの自信を手に入れて、自分を愛せる、そのために。
もっと、いっそ、もっと、ずっと、木っ端微塵になればいい。
粉になって、粒になって、世界いっぱい広がって、無限の自分になればいい。
毎日泣いて、毎日泣いて、悲しみの汗の沸いた時、それもそっと吸わせりゃいい。

耐えられなければ逃げていい。

逃げたい気持ちが答えだよ。
ずっと、そんなに辛いのに。
どうすればいいの?何をすればいいの?
問い続けることも休めばいい。(坐禅のススメ)
休んじゃダメだと責めていたら、体も心も休まらない。

頑張らなくていい。上を向こうとしなくていい。
苦しむ先には何もない。だから、苦しむこともやめていい。
八角堂で待ってるよ。上げたその手を合わせてみよう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

限界のその後

m5さんこんにちは。二度目のご縁をいただきました。

どうしたのでしょう?何があったのでしょう?それともずーっと悩み続けてきたことに限界が来てしまったのでしょうか?

m5さんの苦しみの原因は何でしょうか?思い通りにならないことでしょうか?でも思い通りにならないことなんて頭でわかっていますよね。それでもそうじゃなきゃダメという思いが強すぎるように感じます。

「もう限界」というのも「思い」です。

どんなストーリーにも「その後」があります。バッドエンドでもハッピーエンドでも映画などの作品にはTHE ENDな終わりがありますが、現実には終わりがないものです。

「もう限界」という「思い」を突き破る「思いのその先」の事実があります。

もちろんその事実もやはり思い通りになるものではないのでしょう。

それならば対処法は「事実」を思い通りにしようともがくことでなく、思い通りにならない事実でも受け入れられるようになるよう自らの「思い」をまず相手にすることかもしれませんね。

私が以前にご縁をいただいた後の問答では回答僧さんに反発するようなご返信をいただいていたようですね。
反論して楽になりましたか?どうでしょう。
目的は議論に勝つことでもなく、思い通りの未来を手に入れることでもなく、思い通りにならない現実を受け入れられるようになることです。

苦をなくすのでなく、苦を活かす道を歩めるようみな願っているのです。

ここではみないくらでもm5さんの話を聞きますよ。

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おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
ずっと続いていた悩みが限界に来た感じです。
最後まで張っていた糸がプッツリ切れてしまった感じです。
ここに投稿しておいてアレですが、前向きに考えるとか、人の意見を聴くとかいったことがもう難しいのです。もう心に余裕がなくて困り果てています。

思い通りにならないことも苦しいですが、少しでも自分の理想に近づこうとしても、資源も体力も知恵も無い。ましてや諦める広い心も無い。それが苦しい
自分を救えるのは自分しかいないのに、自分が一番頼りにならない。
人生、上向いて欲しいよ。自信を持って自分を愛して明るく楽しく生きていきたいよ。そう思うのは贅沢なの?おこがましいの?
いつか必ずこの暗いトンネルは抜けられらの?それともずっとこのまま?もう早く終わらせたい

お礼じゃなくてごめんなさい。

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