hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

気付いた事が!

回答数回答 2
有り難し有り難し 36

こんにちは。
自分の事で頭がいっぱいの私ですが南無阿弥陀って祈っていたら、ふと。時には厳しいけど優しいお坊様の為に祈ってもいいでしょうか?感謝でいっぱいで何か出来ないかなぁと思いました。でも私は自分の事さえ持て余しているのでお坊様方は素晴らしい方達ですって感謝したくて。いけないでしょうか?
今日とてもきな臭いニュースが報道されています。集団自殺なのか快楽殺人なのか頭部が二つ入ったクーラーボックスが発見されたり。犯人は捕まった様ですが正直怖いです。今年の5月に実の二親と妹が主人と私を訴えた事で弁護士が介入した訳ですがある意味これが防波堤になったと思っています。弁護士が介入した以上原告達が私を殺す事はないだろうと安心はしているのですが怖いです。何をするか分からないからです。水の元を止めたり今まで使えていた場所が使えない様に鍵を付け替えたりしたからです。何とか切り抜けて来ましたが。調停は収束し来年の9月までに二世帯住宅は出る事、月一定額の家賃を原告側の弁護士の口座に入金する事で落ち着きましたが、主人は海外赴任中、私はワンコ達と一人ぼっち。ワンコ達に危害が及ぶ事になったらと思うと怖いです。考えうる限りの対処はしていますが。色々な事件を耳にすると自分も原告達に同じ目に遭わされる?と思ってしまいます。私はどうなってもワンコ達の命は守りたい、守らなければいけません。どうか根性のない情けない私の為にお祈り下さい。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

アタマの中の「思考の🚙」と「事実の🚙」 

人間は、頭の中に二つの乗り物があります。
これを定食屋さんに入ったことにして説明します。
「らっしゃいー。」
一つ目の車「A」は現実の世界で世界でちゃんと現実に親しく生きています。
出されたものをそのままその通りに頂く。
食べ終わったら「ご馳走様でした」とお礼を言ってお店を出ていきます。

もう一つの乗り物「B」は頭の世界で生きること。
「らっしゃいー!!」
(…うわ…声デカ…。)
「ご注文何にしましょう。」
(え?まだ、入ったばっかりなのに。なんかせっかちで感じ悪いなこの店。早くしなくちゃいけないのかしら。あーどれにしよう、ゆっくり考えたいな。)
(-"-)「…〇〇定食で。」(あー、やっぱりアッチが良かったかな。でも今から変えると悪いな。)
「以上で?」
(-"-)(…え?何?もっと頼めっての?)《言ってません》
「じゃ…、あと、ドリンクで〇〇を…」
(コンビニならもっと安いのに、押されると弱いのよねー)
「お待たせしましたー」
(え?これであの値段?なんか意地悪されてるのかしら?)
他のお客が帰り間際に
「ありがとうございましたー!」
(大きな声ね…、もうお店の中、私だけじゃない。私にも早く帰れって言ってるのかしら?はいはい、早く済ませて帰りますよ…)
「お会計1001円になります。」
「じゃ、2000円でおねがいします。」
「小銭ございますか?」
(え?ないわよ…、てか、1001円て。1円くらいまけてよ。ぶつぶつ…)
「ぁりぁっとおあぃしたー」
(感じ悪い言い方ね、もう二度と来ないわ)

はい、以上の2人の違いがお分かりになりましたでしょうか。
(何?これってあたしのこと言ってるの?)≪言ってません。あくまでも説明です≫
さて、物事はこのように自分の「頭越し」にみていますと、全部自分を中心に良し悪しが起こります。
実際の事実はそうではないのに、思ってしまったことが実際の事実を塗りたくってしまうこと。そんなこと、あるあるですよね。
この二つの乗り物の内、どちらがより快適でしょう。
もし、ご自身が「B」にのっていることを自覚されたならば、すぐに降りてください。
タクシーだってむやみに長く乗ればどんどん料金がハネ上がります。
自分をいたずらに苦しめる乗り心地の悪い車は無理に乗車する必要はありません。
快適な人生ドライブをお楽しみください。(^◇^)

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ありがとうございます。

拝読させて頂きました。
あなたが大変恐怖に怯えておられるご様子を読ませて頂きました。
お身内の方からの仕打ちは本当にお辛いことでしょう。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
またお坊さんの為へのお念仏おとなえ頂きお祈り頂きありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
私もあなたがこれから仏様のお導きを受けて正しくお健やかに生き抜いてくださいますように、ご主人様やペットのコ達と共に心穏やかに仲良く生きていかれますようにと仏様にお祈りさせて頂きます。
そして真心込めてお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏

仏様はいつでも私達を見守り正しくお導きなさって下さいます。
どうかこれからの毎日を心穏やかに安心なさってお過ごし下さいね。

弁護士が間に入っているということは逆に違法な行為はできないでしょうからね。
もしもその方々があなたの基本的人権を尊重せずに侵害するような行為に出たならばそれこそ逆に訴えられることになってしまいますからね。

弁護士以外にはもう一切関わることはやめて、しっかりと距離を置いて下さいね。

あなたにはこれから健やかな人生があるのですからね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ