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どうしたらいいのか

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

1つ目は会社での出来事で僕には30代の女性の上司で前からほかの男性(50代)と仲がよくて それ以外の人ともしゃべってます。

僕も以前までは会話してたんですが、最近になって挨拶をスルーされたり「お疲れ様」もスルーされます。たまに1日会話できないこともあります

忙しいからしゃべれないねと言いながらほかの人と喋ってます。
それをその女性にひつこくいうと喋ってもらえなくなるのも嫌だし
じうしたらいいのかわかりません。

2つ目は両親のことで僕の権限はないというかあれもダメ これもダメの一点張りです 困ってます


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

外しちゃいけないことがある

ハッキリ言ってくれる人がいないからハッキリいっちゃうとちょっと距離を置かれているのではないでしょうか。
人って、どういうところで判断されるのでしょうか。
あなたはお体がご不自由なところがあるのでしょうから、そこは致し方ないと思うのです。
ですが、まず「外しちゃいけないこと」があるものです。
私は、今までの質問をみてもチョット自分のことしかないかなー、と思いますし、あなたはここで二つも質問してきてます。
いくら無料だからと言ってもこっちも人間です。
今までは他の坊さんが答えてくれたことに、どれ一つにもお礼の返信もない。
そういうところが、日常にもでているのでしょう。
人ってこういうことはなかなか言ってくれんのですよ。
自分で気づくしかないのですよ。
あなたは私から言われてカチンとくるでしょうか。
それとも、ん、まてよ…、と思ってくれるでしょうか。
それとも、たいして読みもせず、テキトーに指先スルーしているでしょうか。
そういう生き方であると、他の所にも反映されて行ってしまうものです。
私への返信は結構ですから、まず、今まで答えてくださった方々に対して返信をなさることです。そこで自分の見えなかったところに光が照らされるはずです。
おそらく、あなたは「そういうところ」で損していると思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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