自分の絵に価値があるのか分からなくなった
最近、イラストを描くことがしんどくなってしまいました。
以前は描くのが楽しかったのですが、SNSや他の方の作品を見るうちに
「自分の絵には価値がないのでは」と感じてしまい、描く気力が落ちています。
SKIMAなどで出品もしてみたのですが、なかなか反応がなく、自分の実力不足を突きつけられているようでつらくなってしまいました。
それでも本当は、絵を描くこと自体は好きで、また前向きな気持ちで向き合えるようになりたいと思っています。
気持ちの立て直し方、考え方の切り替え方などがあればアドバイスをいただけると嬉しいです。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
描きたいのか、評価されたいのか
こんばんは。「絵を描くのが好き」、とても素敵なことですね。
でもあなたは、「他人との比較」や「他人から評価されるか」で、価値を測っているようです。
ここhasunohaで、私たちは「解答」を表明させていただいてますが、何故そうするかといえば、第一にそれが好きだからです。
自分とは異なる人の思いを見せてもらい、私なりに解釈したり考えたりした、その痕跡を表現するのが好きなんです。
勿論、それが質問者さんにとってピッタリ来た、自分が見えた、進む方向や具体的な行動に繋がったとしたら、それはそれで嬉しいですけれど(有り難し、という評価数値もありますし)、「届かないかもな、分からないかもな」という不安というか恐れみたいなものも持っています。
有り難しが着かなかったら価値がないのか?お礼が書かれなければ価値がないのか?
それは書き手それぞれの価値観です。特にこういったことは、「すぐにはピンと来なくても、後になって腑に落ちることがある」ものですから、その場のやり取りだけで価値は決まらない、ということを前提にしているのです。自分としては渾身の出来、と思っても、評価ゼロということもあります。
とすると…「自分なりに、今のベストと思える表現をしているか?」が評価ということになります。表題の意味はここにあります。「誰にとって価値あることをしたいのか?」なんです。
今あなたが、他人からの評価にめげているというならば、描き上がった時点で評価すればいいのです。「描くこと自体が好きなので」ならば。
しかし、それが評価されたい、売れたいというならば、売るための戦略を研究しないといけないと思います。それは絵の技術とか発想とは、多分別のところ。マーケティングの勉強ということです。聞いた話ですが、SNSですバズるような人は、そのためのリサーチをかなり行っているそうです。「何故これが今ウケるのか」を考えた上で、それに沿うように出している。
なので問いに答えるとしたら、「わたしが精一杯オッケーと言えたら十分」なのか、「売れるためにもっと研究しなきゃ」のどちらかだと思います。それが、切り替えるということでしょう。
必ずあなたの画風が刺さる人がいる🖌
一本足りない凡下と申します。
このこのサイトと同じですよ。
色んな坊さんの色んな答えがある。
花も葉っぱも色々な種類がありますから、ワタクシ好みのものを選択するのが人間です。好きな音楽、好きな料理、好きな香り、好きなフォント、好きなイラスト、画風、タッチ、色彩、ゼッタイあなたのものは誰も真似ができません。
ただし、多くの人から好まれるようなPOP目線であろうとすれば、ところんPOPを追求しなければ、大衆性は現れません。
自分は音楽ではマニアックなロックを好みますが、一般人にはゼッタイに理解もされません。
比較はこの世には本当はありません。
審査は審査をする人の好みです。
評価は評価をする人のその時その場、その時点、その状況下での判断によるものです。
本当に優れた審査員というものはアートの世界には稀有なものです。
音楽で言えば、喜怒哀楽、それぞれの心情にシンクロするもの、寄り添うもの、あるいは未知なる働きに向かわせる力のあるもの、さまざまな表現がありましょうが、それだって、人間の数、さらには心の状況の数だけあるのですから、同じ曲を弾いて、同じものを描いたとしても、まるで別物です。
故に、絶対の箇。絶対の個というものが、どんな作品であっても、どんなタッチ、どんな表現であっても、一本の線ですらも、一期一会なのです。
試しに1分ほどで書けるような手軽なイラストを10枚今から描いてみて下さい。
そこに評価をつけず、好き嫌いを持ち込まず、ワタクシを入れずに。
すると、その絵があなたに特別な説法をしてくれます。
あなたが先立つと絵はしゃべってくれないのです。
私はお坊さんにお経の発声法や太鼓を教える機会がありましたが、学ぶ力量のある人は、自分が先立たないのです。
あなたは自分自身が今一番自分自身の絵に評価を加えている心理状態にあるはずです。だから、評価を持ち込まずに、黙って10枚描いてみる。すると、その作品自体が主張する言葉・光透波がある。
そこから、さらにあなたが、何を見い出し、何を学ぶか。そこに「描き」は現れるものです。
さらに、道を究めんとするのであれば、禅を学ばれると良いでしょう。
禅を学ぶというは自己を学び、ものの根源、道理、六感、法を学ぶ事だからです。
鬼を描き、仏を描くも同じ筆。
みな、わが一心。
あなたのその一心に一筆添えさせていただきました。
生成AI時代の価値の変化
絵の価値とは、(1)その絵を見たいと思う人が一人でもいたり、(2)その絵から何かを学びとる人が一人でもいたり、(3)その絵を描いたあなた自身がその絵に愛着を持てたりすることではないでしょうか。
(2)については、素人にはよくわからないけど新しい技法を開発した美大教授の絵なんかに該当します。
(3)については、あなた自身の思い入れに左右されます。
(1)については、生成AIの登場で複雑な問題となっています。
単純に上手に描く(精密さ)については、AIの絵でも充分な質が、かなり短時間で実現できる時代です。
なので、人間の描く絵の価値とは、何をどのように描くかというアイデアが重要になります。
例えばAIに描かせる場合でも、AIにどのように指示するかが個性となりますね。
いずれにせよ、仏教では、自分の価値を気にすることも煩悩の一種であり、煩悩とは悩み苦しみストレスの原因になる心だと言えます。
自分の絵に価値があって欲しいと執着することも悩み苦しみの原因になる煩悩なのです。
ですから、作品の価値をあまり気にしない、独りで楽しむジョギングのように、描くこと自体をエクササイズ的に楽しめたら良いかもしれませんね。
誰かに見せるための絵ではなく、描くという作業を楽しむスポーツみたいな感じで。
「成果」ではなく「行い」を尊びましょう。
はじめまして。僧侶の釋聴法と申します。
芸術の世界での挑戦、本当によく頑張られましたね。まずは、しんどい中でも「描くことが好き」という純粋な灯火を消さずに持っている自分自身を、精一杯褒めてあげてください。
仏教には「自灯明(じとうみょう)」という教えがあります。他人の評価という外側の光ではなく、自分自身の内なる光を頼りにしなさい、という意味です。
①「比較」という執着を離れる
SNSは、他人の「最高の一枚」と自分の「制作過程」を比べる場所になりがちです。他人の数字は、あなたの絵の価値とは一切関係ありません。画面を閉じ、まずは「筆が動く感触」や「色が広がる様子」など、今のあなたの手元にある「描く喜び」だけに集中してみてください。
②「成果」ではなく「行い」を尊ぶ
SKIMA等での反応は、実力だけでなく縁やタイミングも大きく関わります。結果が出ないことを「実力不足」と断罪せず、「描いた」という尊い行為そのものをゴールにしましょう。
絵は、あなたという唯一無二の存在から溢れ出たものです。誰かに届くかどうか以前に、あなたが描いた瞬間に、その絵には絶対的な価値が宿っています。
焦らなくて大丈夫です。今は評価を求める「仕事」としてではなく、心を癒やす「祈り」として、一枚の紙に向き合ってみませんか。
拝
縁起寺 釋聴法
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。確かに誰かに認められることにだけ意識がいっていて、絵を描くこと自体について、楽しむということができていなかったなと思います。自分が楽しんで絵を描けば、それも価値のある絵なのではないかと思うことができました。
お2人もご回答ありがとうございます。
評価に振り回されすぎていてしまったのだと改めて実感しました。まずは、SNSへの投稿に拘らず、好きな絵を描こうと思いました。
ありがとうございました。



お悩み相談 080-2065ー9278(無料)お気持ちで浄財志納歓迎
月火水木金土日 8:00~21:00