前世と来世について
こんにちは。
先日初めて質問いただきました、ありがとうございます。
前回も、死についての質問をさせていただきました。
それについてどうしても考えてしまい、泣きそうになります。
私たちには前世と来世はあるのでしょうか。
私はたまに自分は前世もあったと思います。
来世があればまだ生きる希望を持つことができますが、なかったらどうすればいいかわかりません。
怖いです。
自分がなんでいるのかもわからなくなります。
来世はあるのでしょうか、また、その来世でまた家族と結ばれるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今のみで後先無きが真の今 過去も未来も今の一念
過去世は今、体験・経験ができない。
未来世は今、体験・経験ができない。
われわれの身心はいつでも今の世の、今の瞬間しかありません。
だから、過去のことを考えるのも今。今の記憶。今の想念。
だから、未来のことを考えるのも今。今の推測。今の想念。
ゆえに、今全部やっているってことがお分かりになるはずです。
ですが、それはまだ「今」考えているだけ。
本当の今に出会うには前世と来世が無くなるくらいに今のことに徹底することです。
すると、想念から離れて今やっていることに向かうこと以外に行くべき世界も理想郷もありません。
前世と来世を思うのは現世今世のあなた。
ホントの現世、ホントの今世に出会わない内は、人間は今の世界をないがしろにして先のことや過去のことをあれこれ思いながら生きていくのです。
幽霊とは髪を引きずっています。
それは過去を生きてる様子。過去に引きずられている様子。
手をたらした憂いの表情は、未来をあれこれ思って不安や怖れに取りつかれている様子。
自らが幽霊でありながら、自らの思いに取りつかれているのです。
地に足がついていないのは今を生きていない様子。
つまり、あなたの今の様子です。
地に足の着いた生活を送るようにいたしましょう。
左脳は過去と未来が大好物。
過去も未来も今の一念。
来世はあると思います。
私は、輪廻転生を前提にものごとを考えています。
前世も来世もあると思います。
来世で再会したいなら、極楽浄土に往生するように、南無阿弥陀仏と念仏をとなえましょう。
南無阿弥陀仏と念仏をとなえれば、極楽浄土に往生できます。
普通は、死ぬ瞬間の心の状態によって来世が変わるので、来世はけっこう不安定です。
しかし、南無阿弥陀仏と念仏している場合、死ぬ瞬間の心に阿弥陀仏が現れるため、来生が極楽浄土に確定できるのです。
因縁によるもの
蛍都様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
輪廻について仏教では「無始無終」と言われますように、私たちは、無明と煩悩と悪業によりて、迷い苦しみの世界を流転し続けている存在であると説明されることになります。
そして、全ては因縁(原因と条件)により成り立っているとするのが仏教の立場でもあります。
そして、この輪廻から脱するにしても、脱するための因縁無くしては逃れることもできないのであります。
今の自分が人間の世界にあるのは、当然に、過去世からの因縁によっての結果としてあり得ています。
そして、過去世と共に、現世においての因縁も併せて、更に来世における結果へと続いていくものとなります。
来世は因縁によりてあり得ていくものとなりますが、その因縁次第では悪いものであったり、善いものであったりとしてしまいます。
できれば、善い来世へと向かうためにも、そのための善き因縁の方法論を説いている仏教を実践して参りたいものであります。
「来世でまた家族と結ばれるのかどうか」は、それも、やはり、ご縁次第となりますが、ご縁の結びつきが強ければ、その因縁によって、またきっと縁があることもあり得るでしょう。
できれば、同じ仏縁を強く結ぶことで、来世にも同じ仏縁の下で共に逢えるように調えて参りたいものとなりますし、互いにしっかりと善き因縁に取り組むことで、やがて皆が共に迷い苦しみの輪廻から脱していけるように努めて参りたいものであります。
川口英俊
質問者からのお礼
ありがとうございます。
毎日、仏様に感謝しながら、念仏をとなえようと思います。
自分も、いい人になって、今ある人生を精一杯生きようと思います。
安心できました。本当にありがとうございます