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自分の将来に希望が持てません。

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自分の将来のことを考えると不安だし、この先幸せなどないのではないかと絶望的な思いが頭を支配しています。

私は子供の頃から両親から人格や、自分の意見、自分の行動などを否定されてきました。学校の成績も悪くはなく、真面目な性格で、社会人になってからも社会的倫理から外れるようなことはしていないと思います。
ですが、親からほめられたことなど一度もないどころか、否定をされた記憶しかありません。

そんな両親ですがなぜか見捨てられません。現在40代で独身です。
過去には結婚の話もありましたが、実家からかなり遠くへ住まなければならない可能性があったため、相手の方にはお断りしました。

今は「自分は親のせいで不幸な人生になった。」と、毎日のように怒りがこみ上げてきます。
このままだと、将来は孤独死しかないと不安で身動きがとれなくなってしまいます。

こんな自分にも、いつか幸せが訪れることがあるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたにとって幸せとは何ですか?

浄土真宗のお寺では、タイトルのようなテーマでお互いの思いを語り合う「れんけん(連続研修)」という取り組みがあります。(もし興味がありましたらご紹介しますね)

幸せの定義は人それぞれですが、私はこう思います。私にとっての幸せとは、「私がここに生きていてよい、隣のあなたがここにいてよい世界」です。

これまでの人生を振り返られて、ご両親から否定ばかりされてきたというお言葉は、とても辛く悲しいです。たとえそれがご両親の教育方針やしつけ、あるいは愛情から来るものだったとしても、当の本人に遺された感情が「否定」であれば、その子育てに言い訳のしようもないでしょう。

だからといって、否定が否定を生み出すようなスパイラル(ぐるぐる渦を巻いて連鎖し深みに沈んでいくさま)にろーたすさんがはまり込む必要はないと思います。

過去は消せないし、傷つけられた痛みは、既に事実としてあるのですから、ひととき忘れることでしか消せやしません。(思いだせば元の木阿弥ですしね)

仏さまの教えは、そんなひと時のココロの持ちようで物事を解決せよとは言いません。(病は気から、と言われても痛み苦しみの元は消せません。)
むしろ、仏さまは私に、どうにもならないわが身、わが心と如何にして向き合うかを問いかけておられます。

すなわち、その問いとは「あなたにとって幸せとは何ですか?」です。
否定から幸せは導き出せないということは、既に述べたつもりです。であるならば、私もまた自分自身や周り、自分の両親を否定し続けるいまの場所から、すこし違う私、周り、両親を見つけることにトライしてみませんか。

ただし、そういう努力をしたとしても、幸せになるとは限りません。でも、幸せって何だろうという出発点には立てるのだと思います。

いまある道をがむしゃらに走り続ける人には、立ち止まってというアドバイスは毒にも薬にもならないでしょう。走ることを否定されるいわれはないのですから。
ただ、せっかく走るのなら別の道もあるよ、走るスタイルも色々あるよというアドバイスに聞く耳を持てる人には、仏さまの教えはきっと響いてくると思います。

仏さまの教えは否定しません。肯定もしません。でも、今の私の生き方を問い直す道を示してくださる教えであることは間違いありません。

そこに気づいたとき、私は「幸せ」を感じました。

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有り難し
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北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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