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人間関係において自分の思っているように行動できません

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私は高校3年生の受験生なのですが、自分の性格、これまでの人生について悩んでいます。
そんな歳で人生を語るなと、思われるかもしれませんが、質問させてください。

私は自分の人生を満足できるためには人間関係が納得のいくものである必要があると思うんです。
納得いくって言うのはどういうことかと言いますと、自分の性格上、いっしょに楽しいことをして心から笑えて、それでもって深い繋がりを感じられる、そんな人間関係です。それは友達においても恋人においても。
しかし高校に入ってからそのような人間関係を築くことができませんでした。

私自身、人とワイワイと騒いだり笑わせたりすることが好きなのですが、初対面の人と慣れることが苦手であからさまに目線が挙動不審になるなどすぐに表に出てしまいます。
人と沈黙になったり、つまらないと思われるのが怖くてうまく接することができません。無意識に新しい人と関わるのを避けようとしてしまいます。
結局、ずっと自分を正しく理解してもらえないまま過ごすことになってそれもまた苦しいです。

もっと自分を積極的に変えていくにはどのような心持ちでいたら良いのでしょうか。

また今まで自分をうまく出せずに過ごしてきた高校時代に悔いしかなく、もう数ヶ月で卒業ということもあって毎日たいへん辛い思いをして過ごしています。自分の今までにどのように向き合ったら良いのでしょうか。人が友達と楽しそうにしているのを見るだけで怒りが湧いてきてしまいます。

上手くまとまっていないのですがよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それはいつの間にか作り出された自分ルールというもの

お気持ちよく分かります。
本当にそうであったら人生なんて楽しいことか。
ところが、あなたの理想がそうであっても、ぶっちゃけ現実のところ、どうでしょうか。
私自身も人生で交友関係は、自分の思い通りにはいきません。
最初から自分を立てないことです。
自分を立てないとは、自分のルールを強くもったり、マイ・ルールを他人に強要しないことです。
むしろ、自分ルールが強い人ほどあなたもとっつきにくい人ではないですか?
そういう、あらかじめマイルールを持たないように過ごしてみてください。
もっと、ライトに。
もっと、気楽に。
もっと、単純に。ルール無しに。
お笑い芸人も売れない内は、ネタでやろうとします。ですがネタはネタ。
応用がきかないのです。
ミュージシャンも楽譜通り譜面通りでしか弾けないと、アドリブやアレンジができません。
現実というものは、決まった形ではありません。
自分の構えが無くなれば、その時その場で、リアルタイムでアドリブ、応用、臨機応変に変化が可能です。最初からうまく見せようという構えを無くすことです。
歴史の教科書は過去のことしか書いてありません。
あなたの歴史の教科書は、たった今、そこ、今日限り。❝今日ヶ所❞です。
あらかじめ記してから、望むより、まずはリアルタイムの現実を生きてみましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「納得」を手放す

 いきなり全否定のようなタイトルでごめんなさい。けれど、学校を出て(学校内でも同じなのですが)社会に出ると、そこは理不尽の嵐です。むしろ、「納得した」という事の方が希有です。私は高校時代、数学が好きでした。成績がよかった訳ではありませんが、「間違い」には「誰が読んでも間違い」という点が、あからさまにあったからです。いわば「納得できる間違え」しかないのです。
 しかし、世の中では「納得できる」と言い切れる人間関係はありません。親子しかり、兄弟しかり、友達しかり。結婚して妻もおりますが、「常に納得=満足できる」関係ではありません。でもそれで生きている。それで生活している。こちらが「ありよう」ではないかと、最近(40歳を過ぎてから)思うようになりました。
 もちろん、常にそんな悲観的に生きてきた訳ではありません。瞬間ごとで捕らえれば、「心から笑えて、ああ幸せだなという言葉が自然とわき出てくる」ことはありました。しかし、それは瞬間です。よく結婚式のシーンで「あなたを一生愛します」というセリフが出てきますが、それは「今のところ、そう思っています」が省略されているだけ。かと言って、それが嘘なのかと言えばそうでもない。まどろっこしくも言い換えれば、「納得した人間関係の時もある」が真相ではないかと思います。ですからまず、一瞬でもそう思える時があれば、その一瞬あなたは満足。でも、次の一瞬は約束されていない。そのことを知るべきです。「これが続けばいいのに」ではなく、その一瞬をしっかり味わう。それを逃さない人になる。その辺を目指しては如何でしょうか。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

積極的に変わる事よりも、自分を好きになってあげてください

先ずは、ここまで悩むことができる、苦しみに向き合い文章に表現できるという事に驚きました。素晴らしい、文章力だと思います。小説家になれそうですね。
大人でもそんな悩みを抱えたまま、しかし、向き合わずに、きっとそのうちに何とかなると思って生活しているものです。そこに向き合えているあなたは、人間的にはとてつもなく大きな一歩を踏み出しています。素晴らしい事です。
今日明日に結果が出るものではありませんが、アナタという人間の器はどんどん大きくなっているはずです。

人にしてもらいたいことを、あなたは他の方にしてあげれていますか?
正しく理解してあげれていますか?「こいつとは意見が合わないから、付き合いはこれくらいにしておこう」と棚上げにしていませんか?
先ずは、嫌だなと思う相手でも、嫌な出来事ばかりだったとしても「その出来事からあなたが何を学べるか」が大切です。

自分を積極的に変えていこう、と思っていらっしゃるようですが、あまりお勧めはしません。無理をすると、かえって状態は悪くなると思います。
先ずは、「自分を受入れる事、自分を大切にして好きになる事」を考えてみてください。
それは、今あなたの周りにいる人間を、環境を、家族を認めて受け入れて大切にすることです。
感謝をすることです。
「こいつ嫌な奴だな」と思ってい人に、いま「○○さん、ありがとう」って言ってみてください。アナタの中で、心の何かが緩むのが感じられると思います。
一人の時で結構です。お風呂の中、トイレの中、布団の中、歩いているとき・・・こっそりと、でも口に出していってみてください!
順番に、お母さん、お父さん、家族、友達、好きな人も嫌いな人も、先生も言ってみてください。楽しそうに話していて、怒っていたこの名前も忘れずに。そして、最後に、これが大切です。自分の名前を呼んであげて、ありがとうって言ってあげてください。
それで、

あと、高校で出会った人達は、三年間で完了する期間限定の人間関係ではありません。「高校制時代に始まった人間界」です。始まったばかりですね。

あなたの今日が、明日が、未来が穏やかな幸せに満ちたものであります様に、お祈りしています。

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おきもち

質問者からのお礼

ずっとこのサイトのことを忘れていて、今たまたま思い出して見ています。
高校生の頃の悩みの本質的な所、どうしたら幸せに生きる事が出来るのかということは未だに自分の根本的な悩みとしてありますが、今はまた捉え方が変わった気がします。当時は皆さまのおっしゃっていることがあまり理解できていませんでしたが、今なら共感できるところも多いです。真摯に相談に乗っていただいてありがとうございました。

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