子供の頃動物を虐待していた。
私は母子家庭で育ち、暴力を受けて育ちました。
それから飼っていた動物達を虐待するようになってしまいました。
ストレスや怠慢の不登校のうちに飼っていたペット達にものすごく残虐な行為を繰り返すようになりました。
殴る蹴るはもちろん人として動物を飼う者として最低な行為を何度も何度もしてしまいました。
そのくせに飼っているペットの死や某テレビで見るペットの死には一丁前に泣いてしまうのです。
自分のせいで飼っていたペットが死んでしまったことがあります。
その時こんな事はやめようと思いましたがやめれませんでした。
その頃から虐待行為ははほぼ無くなりましたが同時に罪の意識にかられるようになりました
ふとした時に死にたくなってしまいます。
自害する勇気がないのでかろうじて生きていますが辛いです。
こんな最低な事をした奴が何を言ってるんだと自分でも思いますが自分がやってきた事から逃げたくて仕方ありません。
忘れたいし無かったことにしたくてたまりません。
自分がした事で勝手な事を言ってるのはわかってるんですが少しでも気持ちを軽くしたくこうして相談させていただいた次第でございます。
罪を犯した人は一生死ぬまで後悔にかられて生きていくのでしょうか?
長くなってしまい且つ読みにくい文章で大変申し訳ございません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その経験を心の戒めに。
こんにちは。
虐待されたこと、そしてペットに虐待した経験が苦しみになっているのですね。辛かったですね。仏さまを信じれば大丈夫ですよ。
人は優しくしたいのに虐待する心を持っています。命の大切さを知らない子供の頃はそういう意味で残酷です。でもそこから少しずつ大人になることによって逆縁で命の大切さを学ぶのです。それを学び損ねると大人になっても残虐性が消えないことになります。命を尊ぶこともはじめから備わっているわけではなく、やはり教育が必要なのです。
あなたはもう自分が悪いことをしたと思っているので、後はその心を忘れずに実践するだけです。その経験を持つが故に、人以上に優しくできるでしょう。そして自分に残虐性があると理性で認識することは大切です。理性でわかればコントロールができるからです。これから人生の中で辛いことがたくさんおこると思います。心のメンタルが壊れると心の安定を図ろうと残虐性が出てきます。だからこそ常に心が安定、リセットして正気に戻れるように信仰が必要なのです。
今から本棚に好きな仏像を置いて仏さまを拝みましょう。そして優しい心を仏教で学び、実践していきましょう。必ず幸せになりますよ。がんばって!合掌