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希死念慮

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有り難し有り難し 18

物心ついた時から私は人を呪う気持ちとか地獄とかそんな事ばかり考えてました。日々発達障害で怒られることが多くて誰にも認めて貰えず苦しかったのをそういうテーマのアニメで気分を晴らしてました。 だけど次第に見なくなりました。 その一方で希死念慮がどんどん強くなっていきました。 自分でもどうしていいかわからないです。 病院に通院してますが、主治医もどうする事も出来ない状態で泣いてどうにかしてください。と頼んでももうわからないのか処置を施してくれません。 (病院は二件目です)私の父方の家が精神疾患者が多いらしく、遺伝なのかとも疑ってしまいます。 私はまだ19歳なのでみんなと同じように毎日目標を持って学校に通い友達と話し自分の目標の資格のために勉強し取得する。という普通の人なら当たり前かもしれない事が目標です。 でも言い訳に聞こえるかもしれませんが、常に死にたいという気持ちが重荷になりうまくいきません。私の悩みは友達も理解すらできないので珍しいんだろうなと思います。自分の感覚だと八方塞がりだと感じます。(物事を進めようにも重たい気持ちと人間不信で心がボロボロになってしまったタメ。)まず、わたしは第1は何をしたらいいのでしょうか?どうしたらいい方に方向転換できますか??


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お早目に

私がおススメなのは真剣に自分の暗い考えを一掃しようと志して、それを本当に無くそうとすることです。
先日も死にたいという人が来られましたが、死にたくなくなったそうです。
電話も最近続いてこのhasunohaでの回答ができませんでした。
私は自分の知っていることしかお話しできませんが、大体の人は死ぬのをやめてくれて、方向性が見出されていくようです。
それはおそらく私もかつて学生時代に死にたい人間であったから、死にたい人の気持ちがある程度分かるということと、死にたい人間から立ち直ってこうして人助けもしているから、実効性のあるものを提供できているのではないかと自分で思っています。(自分でいうな)
ですが、そうでないと中華一番のマオ君ではありませんが人に提供できません。
私は自分が救われた味噌ラーメンを提供しているのです。
私の味噌ラーメンがお口に合うかどうか分かりませんが、千葉からですと遠いでしょうから親御さんと一緒に埼玉のラーメンでも食べにくるついでに坐禅会か相談にお越しください。
その方が話が早いと思います。
文字には限界がありますし、学校のチャイムひとつだって聞く人によって意味が異なるからです。
やるべきこととしては、思考世界の住人から、事実世界の住人になることをお勧めしております。
日本人の多くはネット住人か、思考世界の住人です。
私がかつて死にたかったときは確実に思考世界の住人でした。
過去のリプレイばかりでした。
希望も先も見えない心の闇を打ち破ってくれたのは禅の教えでした。
禅の教えと言ってもピンキリです。
坐禅すりゃOKというものではありません。
ものの道理、根源、根本を知る。
そして、思考と事実との違いを学ぶ。
事実世界に住することの脳味噌のシフトチェンジの仕方を徹底的に学ぶことで生きながらハッピーになれます。
面白いくらいに過去の地獄が浄化します。
自分を一局しか聞いていなかったラジオだと思ってみましょう。
もっと他のチャンネル、他の局があることをまだ知らないのです。
ホトケのチャンネル、仏の周波数があります。
仏の周波数777ヘルツにチューニングしたくなったらお寺の集いかご相談にお越しください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

いつもいつも

拝読させて頂きました。今まで沢山辛い思いや大変なことを抱えてこられたのではないでしょうか?
詳細にはわかりませんけれどもあなたは沢山のことを抱えて必死に生きてこられたのではないかと思います。
あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。

今まずはあなたがするべきことはそのようなあなたであることを許し認めることかと思います。
あなたがおっしゃるような思いを抱えてしまうことは実際にはあることです。
無理にそれを否定するのではなく、あるがままの自分を受け入れていくことが大事なことかと思います。
私達はいつも死に向かって一日一日を生きているのです。
沢山の方々とのつながりの中でもそれぞれに精一杯生きています。それでも私達は決して己れの死を忘れることはありません。
そのことを日々念頭において毎日を生きていくことが大事なことなのです。
ですからあなたがそうお考えなさることは至極まっとうなことなのです。

そう思いながらどうかこれからの自分の人生を見つめていって下さいね。

あなたにはこれから様々な出来事や人々との出会いがあるでしょう。ですから一つ一つのことがより大切なことにつながっていくのです。

死は一日も待ってはくれませんけれどもそのことを自覚して生きることはできるのです。

どうぞこれからの自分を生き方をゆっくりと見直して下さい、そしてゆっくりと前を向いて歩んでいって下さいね。

あなたのこれからの未来が沢山のご縁の中で充実して生きていかれますようにと心からお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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