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うつ病になっても生きる意味

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僕は23歳の時失恋によりうつ病になりました。その時は、これからもっと良い出会いがあるだろう。または、苦しんだ分何か幸せな事があるだろうと自分に言い聞かせ生きて来ましたが、その後14年間、良い出会いもなくうつ病も良くなったり悪くなったりで最近はろくに仕事も出来ません。
なぜ私はこの様な人生を歩まなければいけないのでしょうか?
正直、ちゃんと働いて、結婚し家庭を持ちたかったです。
毎日苦しい思いをして生きる意味が分かりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の病を克服し最高の人生に目覚めてうつの人も助けてあげる

私自身、学生時代は考え事ばかりで死にたいくらい精神的に落ちていた人間でしたよ。
ところが死にたい地獄の淵から「(゜Д゜♯)しんでたまるかー!」と這い上がって「この世に本当の事はないのかー!」と探し求め仏門叩いて悟り求めて禅寺で修行してこうしてここでできる限りのお助けマンをやっています。何とかなるもんです。
確かに失恋のダメージは大きいものですよね。
おススメの処方があります。
あなたの好きだった彼女はあなたにとってマジ👼天使✨だったのでしょう。
ところが、人間は恋に落ちると相手を好き過ぎて、あるフュージョンが起こります。
それは現実の彼女✒🍎とあなたの中の理想のインナー彼女🍍✒とが「融合」「混同」してしまうのです。ペンパイナッポーとアッポーペンが融合してしまうようなものです。
自分の思った相手と現実のリアルの相手とが混同して自分が思った頭の中の相手の存在の方が真実だと思い誤ってしまうのです。
私自身も同じようなアッポーペンな経験があります。
人間というのは本人を相手にしているようであっても、自分の中の相手に対するセルフイメージを相手にしてしまっているものです。
今、かつて失恋した相手を思い起こしてみてください。
その呪縛はほどくことができます。
その彼女は今、あなたの前にいません。
つまり現実の世界であなたの今思い起こしたその彼女に対するイメージと塔のご本人様とはまるで別存在なのです。
人間は知りません。
自分のことを知りません。
自分の中に存在している相手へ現場への負のイメージが真実であるかのように思えてならないのですが、それはどこまで行っても自分の思いでしかないのです。
ここを深めていくことで、迷いは断ち切れます。負の闇もネガティブな怨念も心を停滞させる自分の暗い思いもコテンパンにすることができるのです。
自分の仕組みを知りましょう。
人が悩み苦しむ仕組みを知りましょう。
人が救われる仕組みを知りましょう。
仏教にはそういうことの答えがあります。
自分を知りたい。自分を救いたい。救われたい。
切に願うことです。
そこに強大な菩提心、より良く生きる気力、パワーが生まれます。
「(゜o゜♯)うつなんざに自分の人生狂わされてたまるかー!」
そういう気持ちを起こしてみませんか。
菩提心。
それは人をどん底から救い上げる確かな心です。
私はそれを証明しているのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

これから自由になさって

拝読させて頂きました。
今まで大変苦しみながら毎日を送っていらしゃったことでしょうね。
好きな方と思いを通じることができないことはこの世で生きる中での苦しみですからね。
あなたのお気持ちを心からお察し申し上げます。

とはいえその苦しみの根源はやはり自分自身の気持ちが作り出しているものです。
人は思い通りにならないその実情に悩み苦しむことになります。

一度その思いを手放してあなたのお心を自由に解放してあげて頂きたいと願います。

あなたは今まで充分に苦しみ辛い思いをなさってこられたのです。

ですからこれからはあなたのお心を解放なさって下さいね、そしてお心の負担を減らして下さいね。

苦しみ辛い思いをなさった分だけ人は思いやることができるようになります。

せっかくそのように生きていらしたあなたの人生をこれからどうか自分の為に人の為にお使いなさって頂きたいと切に願います。

あなたがこれから苦しみから解放されて心からお健やかに未来を生き抜いて頂きますよう心からお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

kousyo様、これからの時間は自分の為そして出来る限り人に尽くして生きていきたいと思います。
丹下様、うつ病なんて跳ね返せるくらい強い意思を持ちたいと思います。
今まで失った時間挽回していきたいと思います。
早速の回答ありがとうございました。

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