娘の死から1年5か月
お世話になります。
未だ一人娘の死が受け入れられずにいて、胸が苦しいです。
私はシングルで、19歳まで育ててきた娘を事故で失いましたが、1年経った今も毎日涙が止まりません。
この先ずっとひとりで、辛く悲しい人生を歩いて行かなくてはならないと思うと重い十字架を背負わされて、耐えろ!耐えろ!と神様に言われてるような気がして…まるで生き地獄です。
私の生きる意味がよく分かりません。
どうして、神様は不幸ばかり与えてくるのでしょう。
人に意地悪などしないで、今まで一生懸命真面目に生きてきたのに…
どうして、たった一人の宝物をなぜ奪うのでしょう…
何をしても何を食べても、楽しい、美味しい、と思わなくなりました。
趣味のドライブに一人で出かけても、今まで娘を横に乗せ走らせてた楽しい思い出だけが蘇ってきて、運転中も涙が出てきます。
この辛く、長いトンネルは私の命が消えるまで続くんでしょうか…。
最期、人は何を思って死んでいくのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死はこの私にどのような意味を与えているのか
はじめまして。亀山純史と申します。実は、私の一人息子も、今年の2月に二十歳の誕生日を目前に、突然死で亡くなりました。その後、このハスノハでの回答も思うように筆が進まず、今回の回答が、息子の死後、初めての回答になります。
さて、私も息子の突然に死に、途方に暮れてしまいましたが、今私が思っていることを、少しばかり書かせていただきます。
まず、申し上げておきたいことは、この悲しみは消えることはない、ということです。ですから、この悲しみをどう自分のものとして受け入れていくか、ということが大切なのだと思います。平安朝の女流歌人の和泉式部は、幼い我が子の死を悼んで、「夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり」と詠んでいます。「幼くして逝ってしまった我が子は、この私にこの世の無常なることを教えるために、生まれ、そして死んでいった仏様だったのだ。」ということです。愛する人の死は、自分にどのような意味を与えているのか、つまり、その人の死はこの私の人生に何をもたらしているのでしょうか。これを捉えることが、その人の死を無駄にしないことに繋がるのではないでしょうか。そして、それを踏まえて、その人と私との関係を改めて考えてみたいのです。
具体的に私事を言えば…
私の息子の死は私に「人生のはかなさ、この世の無常」を教えてくれました。そう捉えて生きていくことが、私の息子の死を無駄にしないことに繋がると考えています。そして、私にとって、私の息子は真に「人生のはかなさ、この世の無常」を教えてくれた善知識[菩薩]であった、と。もちろん、私の息子は私にこのことを教えるために、この世に生まれてきたとは思いません。しかし、私自身、息子の死から学ぶことがなければ、その死を私は無駄にすることになるでしょう。逆に言えば、息子の死から学ぶことがあれば、息子もお浄土より喜んでいることと思います。
少しでも、私の回答がお役に立てば幸いです。
愛別離苦からの解脱
あなたが今向き合っているお嬢さんはあなたの中のお嬢さんの記憶であって、今のお嬢さんではありません。
あなた個人の中で強く「わたくし」されたあなたのお嬢さんです。
それは、もしお嬢さんが生きているとすると、ご本人を相手にせず昔のお嬢さんを話題に「昔のあなたはいい子だったのに」と本人を無視しているようなものです。目の前の本人を相手にされていない様子なのです。
現実の実際の事実は、すべてが「人間の見解=わたくしする思い=わたくしの頭の中で描いていること」から離れて独自の動きをしています。
☆もう一度申し上げますが、現実はあなたの思いとはまるで違う動き方をしている!…のです。
目前のそれが現在2017年12月7日時点での今の真実のありようなのです。
ところがあなたの中では、かつてのお嬢さんがお元気であられた頃の、過去のお嬢さんのありようを思いの上でとどめています。それは「ほとけありさま・仏相・法相をとどめている」姿勢なのです。
この世の現実の現象世界の川の流れはどんどん変わっていっています。
あなたが愛すべきお嬢さんは今あなたが相手にされているお嬢さんの記憶・データではないのです。
今現実の世界であなたと共にあり続けているお嬢さんを感じ取らなければいけません。
愛する人を亡くした方々が笑顔で亡き人と接せられるようになるためには、今の真実のお嬢さんに目に向けなければいけません。姿かたちこそ目には見えませんが、人の死というものは終局ではなく、そのありようが変わっただけであり、かかわりは生きた人とともにあり続けているのです。
あなたが本当に向き合うべきお嬢さんはそこにいます。
人が愛する人を亡くしたとき、本当に向き合うべき相手は「今のありようを全うしている故人さま」に会うよりほかにありません。
痛ましい最期を遂げられたとしてもそれは今の記憶。今は自由な存在になられているのです。
ご本人様の今のありようは荼毘に付されて法界に遊戯せられています。
法界に存在するということは念ずるところ現れないところはないということです。
あなたが報恩の菩提心を誓願し(初願忌)、お嬢さんと共に仏道を歩まれることで本当の意味での大練忌、吉祥なる忌日を迎えることができます。
仏壇の前でお手を合わせ報恩の誓願をなさってください。
今の本当の「法の様子」としてのお嬢様にあえるでしょう。
合掌
また会えるから
娘さん、近くで見守ってくれていますよ。
耐えなくていいんです、涙枯れるまで泣いいいんです。 声が潰れるまで叫んでいいんです。
貴女の命が尽きた時に、必ず再会できます。
今はただ、精一杯の御供養をなさってください。
供養とは、貴女の生き様です、再会する時にどんな顔で再会したいか、どんな声を掛けあいたいか。
そのための、生き様。
精一杯の御供養をなさってください。
南無阿弥陀仏
一時のお別れです。
時に何でこんなひどいことがあるんだと、神も仏もあるものか、
と思うようなことあります。
まさにあなたさまの受けた悲しみ、
苦しみ、辛さは、
とてもとても、
愚拙には理解すべきものない
ことかもしれません。
ご同情申し上げますというのも、
なんだか言葉が軽いのではないかと、
自問自答してしまいます。
娘さんが早くご往生されたには
なんらかの意味があったはずです。
愚拙にはわからない、
人知を超えた何かが必ず、
あったのです。
人は超えられない苦悩を
神仏は与えないといいます。
これは早く往生された
お嬢様にも、
あなたにも乗り越えてなければ
ならない試練なのではないでしょうか?
あなたなら必ず乗り越えると
信じています。
ドライブだてら全国の神社仏閣を、
回られたらいかがですか?
それこそお嬢様と
お二人で参詣される気持ちで、
参られたらいかがですか?
あなたのご多幸を、
心より祈っています。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
これからも
拝読させて頂きました。
娘さんがお亡くなりになりショックと深い悲しみがあなたの心を包んでいらっしゃるのでしょうか。
あなたのその深い思い生きることの辛い思いを心よりお察し申し上げます。
娘さんが仏様のお導きのもと、仏様のもとで心から穏やかに安らかになられますようにと心より仏様にお願いしお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
娘さんは必ず仏様のもとで心より穏やかに安らかになられます、そして一切の苦しみも消え失せて安心してご成仏なさいます。
そしてこれからもあなたをいつもお見守りなさって下さいます。
悲しみは尽きることはないでしょうけれども、その思いをそのまま娘さんへのご供養の思いに傾けて下さい。
必ずやその思いは娘さんや仏様に届いて参ります。娘さんとあなたのご縁はこれからもずっと永遠に続くのです。
あなたが娘さんを思うように娘さんはいつも如何なる時もあなたを見守り続けていらっしゃるのです。
そしていつでもあなたのそばに寄り添って下さっています。
死は決して人と人とのご縁を分け隔てることはできません。
いつの日にかあなたがその生命を全うなさる時が参ります。
その時には仏様があなたを導いて下さり、仏様のもとであなたは娘さんに会うことでしょう、そして喜びを分かち合うことでしょう。
きっとそれまでの間娘さんはあなたのそばで陰日なたとなりあなたを支えて下さいます。
繰り返しとなりますがあなたは決して独りではありません、いつでも娘さんがあなたのそのお心にいらっしゃるのですからね。
どうかこれからの人生も娘さんと共に健やかに穏やかに生き抜いて下さいね。
そして娘さんと共にこれからも幸せに充実した毎日をお過ごしなさって下さいね。
質問者からのお礼
真光寺、亀山様 安穏寺、丹下様 大法寺、長谷雄蓮華様 浄光寺、三浦様
一向寺、kousyo kuuyo Azuma様 先生方、コメントありがとうございました。
返信が遅くなってしまった事…お許しください。
お一人お一人の先生が書いて頂いたコメントを拝見して、涙が出ました。
この世で生きていますと、毎日いろんな事を吸収して、改める事やこれからしてみたい事など
少しずつですが気持ちの変化が出てきたような気がします。
正直、一人娘を亡くし諦めの気持ちが大きいですが…
もう二度と会う事が出来ないと思うと、とても胸が重苦しくなり何も手が付かなくなります。
ただ生かされてるだけ…と思う日もあれば、娘とどこか行ってみよう!(おひとり様ですが…)って気持ちになったり。
気持ちには波がありますけど、私がこの世を去るまで辛く厳しい時を一人で過ごしていかなきゃいけないんだと思うと気が遠くなります。
ご飯も、何を食べてもおいしく感じないのは心からの支えが取れないからでしょう。
下向きに歩くような姿にハッとする事もありますが、今の気持ちが からだ全体に出てきてしまうんでしょうね。
もうこれ以上、怖いものなどありません。大事な一人娘を失ってから そう感じるようになりました。
生きる意味…
先生方から頂いたお言葉で この世の無常とは、どういう事を意味するのか…
日々、考えながら生きてみようと思います。
先生方、ありがとうございました。