部屋に小さな虫がたくさんいます。どうすればいいでしょうか?
いただいた野菜を部屋で放置してしまったところ、アブラムシのような小さな虫がたくさん発生して部屋中にいます。
掃除機ですってもいいものか、どうすれば分からずにいます。
殺したくないけど、一匹ずつ潰さないようにつかまえるのもとても時間もかかりそいです。
野菜とその袋についた虫は、ゴミ袋にいれてしまいました。
よろしくおねがいします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
モヤモヤ
戒律の問題、今回は不殺生戒についてですね。あおさんは以前も気にされてご質問をいただいたようですが、まだご自身の中で方向性が見えてこない感じでしょうか?
この問題について釈尊がいない現在において「これが正解」なんてことは議論や問答で導かれることはないでしょう。
あおさんが生き、そして道を歩む中でご自身のバランスを見つけるしかないのだと思います。
釈尊の言葉を言葉通りに厳密に守ろうとする姿勢も一つです。しかしその際には中道を説いた釈尊のお心にかなっているのか?と問うことも大事でしょう。
偏り・囚われ・執着
でがんじがらめになっていないか?ということです。戒律は智慧を生じさせるための手段です。それなのに心が晴れやかにならずむしろ生きづらく、何をするのにも不安や恐れが生じるならばそのバランスは省みてみるべきかもしれません。
厳密にいくのであれば私たちは一歩もあるけなくなります。
目の前の虫を殺さないことでその虫自身の命、あるいはその虫が生む子孫の何千何万という命が守られるかもしれません。
しかしその虫が他の虫を食べることにより他の虫の命、食べられた虫の子孫となるはずだった何千何万の命は失われるかもしれません。
けして数の問題でないことはお分かりですよね。目の前の命の問題に対し自分がどういう態度で臨むかという問題でしょう。
殺さないように努める
↓
殺さずには生きられない
↓
殺さずには生きられないことを自覚する
↓
殺すことに痛みや悼みを持つ
↓
日々殺している現実を省みる
こうした感じのループでしょうか…。
「心が晴れやかに」と上述しましたが、けして自分の中でよいバランスが見つかって「殺すことを気にしなくなりスッキリする」ということではありません。
生きることはモヤモヤするものです。スッキリしないのです。でもそのモヤモヤを引き受けて生きるバランスがあると思うのです。そしてそのバランスすら常に問い返しながら歩んでいくのだと思います。
最後に自分の事を書かないのも卑怯な感じがしますので…私ならばあおさんのその状況において掃除機で吸ったり何らかの方法でその小さな虫たちを殺してしまうでしょう。
それが正解だとはけして思っていません。正解でないのに開き直っているわけでもありません。
モヤモヤします。モヤモヤに気づかせてくれた戒律に感謝し歩んでいきます。
キャッチ&リリース
掃除機で吸えるのなら、
まず掃除機の中身を空っぽにしてから
虫を吸って、掃除機の中身を屋外で開けて、虫を外に捨てればよいのでは?
掃除機で吸っただけなら、たぶんすぐなかは死なないでしょう。
質問者からのお礼
吉武文法様
ご回答ありがとうございます。
これまで偏り、囚われ、執着にがんじがらめになっていました。何をするのも罪悪感というか、これでいいのか不安でしょうがなく、生き方がわからずにいました。
これからは、モヤモヤを引き受けながら、私のバランスを見つけていきたいと思います。
たくさんのことを教えていただき、大変感謝しています。ありがとうございました。
願誉浄史様
ご回答いただき、ありがとうこざいます。掃除機な中身を空っぽにしてから掃除機で吸って外に逃すという方法、教えていただき、ありがとうございます。