hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

仏教への執着

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

お坊さんの皆さまは、仏教への執着、悟りへの執着がものすごいのではないでしょうか?そうでなければ、お坊さんになりますか?
その部分への対策や、他にこんなものにも執着しているというのがあれば教えて頂けませんでしょうか?
よろしくお願い致します。

2017年12月13日 8:29

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教に対しては「帰依」です。
特に執着しているものはありません。

2017年12月13日 10:40
{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/40歳代 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが...

拝読させて頂きました。
私達も皆さんと同じ人間ですから様々なものや人にも執着する心があります。

大切な方が亡くなるこや自分が亡くなることにもやはり悲しくなりますし残念にも思ってしまいます。

仏教の教えそのものへの執着はないのではないかと思います。
諸行無常あるがままを受け入れることですからね。

なかなかまだ修行が足りませんからそう受け入れられない自分がありますね。

どうぞ共に精進して参りましょうね。
合掌

2017年12月13日 11:51
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして8年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

「全ては縁起し空である」

たにし様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教におきましては、「全ては縁起し空である」として、仏様も、仏教も、悟りも、その例外ではなくて、実体としてあるものでなく、縁起(因縁)によって成り立っているものとなります。

ですから、普段、私たちが、誤ってモノ・コトに何か実体があるかのように囚われて執着することもできないものとなっております。

しかし、それが分からずに執着してしまっているのも、仏教によって対治して参りたいものとなります。

仏教におけるより善き因縁、悟りへと至るための因縁に取り組むことで、より善き結果としての悟りへと向かって参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

2017年12月13日 16:00
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

「悟りとは」問答一覧

悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 66
回答数回答 6

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る