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両親に愛情が湧かないです。

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気づいて頂きありがとうございます。
最初に長ったらしい身の上話をさせていただきたいと思います。すみません。

私の家の収入は不安定で少なく生活は安定しません、父も入院しがちで退院と仕事で中々家に帰ってきません。母は家事をほぼ全てしてくれます。親戚関係はありません。兄弟も居りません。私は進学希望の高校生です。

小さい頃、両親は目の前でよくケンカをしました、また、若かったためか(多分30代だった?)目の前でよく性行もしていました。私が寝静まった時間でしたが、家が狭く川の字で寝てましたので真横の布団でした、故に大体私は目を覚まします。父が仕事の電話を放置して昼間からしたりとシチュエーションは様々ですが何れも私の目の前出する他なかったように思えます。もっと小さい頃にはホテルに行った覚えもあります。父の友人が遊びに来た時、母が寝ている間に友人に指を入れることを許したり、「ラブポに入る練習をしてあげれば?」等冗談めかしてではありますがそういう事も言いました。
母とレスになってから一度小学生の私を性行に誘う、急所を触ると濡れるか聞いてくる等が有ります。本人は変な意味ではないと言いますが私は不愉快で仕方ありませんでした。仕事に行く際母が寝ていた時、(本人は寝ぼけていたと主張しますが)首筋を舐められることがありました。今でも思い出すと寒色が蘇り寒気がして仕方ありません。

母は私がまだ中学生のころ(これも寝起きでしたが)首筋に噛み付いてきたことがあります。

父の親戚が家にいたことがありますが、お嫁さんにレイプ紛いのことをして妊娠させ堕ろさせました。
父の別の友人は一見幸せそうに見えてお嫁さんどころか産まれたばかりの赤ちゃんにも暴力を振るい平気で嘘をつき捏造する人。
お嫁さんはシェルターヘ行きましたが私たちが面倒だからとそこへ入れたと思っていたらしいと後から聞きました。

私は小学生の頃からあまり学校へ行きませんでした、理由は何故かわかりません。普通の人より学習能力が乏しかったように思えます。高学年の時私の独り言を他の生徒が聞き違えて以来間接的な嫌がらせを受け泣いて帰ってきたこともあります。

まだ経緯などがありますが大体以上のことから私は親に対する愛情というものがよく分からなくなっています、いくら何でも養って貰ってるのにこんな事を思う私は親不孝ですか?
まとまってなくてすみません


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

沸かなくて良し!あなたのオヤジは父親ではなくド変態です。

あなたのお父さんは残念ながらぶっちゃけサイコパスかド変態でしょう。マジ〇チです。そう思った方が良いです。
いきなり他人様の父親をボロクソに言って申し訳ありません。
よくぞ、つらい思いを告白してくださいました。
被害にあわない内に身の安全を確保しておいてください。
そういう親を愛せと言われても無理ですって。
周りにもし『親を大切にしましょう』とかいう人がいたら
「(# ゚Д゚)ウチの親はオメーんちの親とは違ってイカレてんだよ」と言いましょう。
人は親を選べません。
私も親を選べません。
いまだに親に対してやれやれと思うことは沢山あります。
そもそも親という存在は「敬われるべき行動をしていなければ敬わなくてよい」と思います。
ただ年が上だからと言って人間的にアウトであれば敬えなくて当然。愛せなくて当然です。
こういうことを言う坊さんは少ないと思いますが、マジです、ガチです、本音です。
ある女性は、父親と兄と同居でした。
毎日のように性的暴行…、性玩具、性奴隷とされて、彼氏がいたのですが、父親か兄の子供を妊娠。飛び降り自殺をしました。
葬式では何食わぬ顔をしていたそうです。
そういうド畜生、鬼畜人間はこの世に実際に存在します。
キレイごとや道徳では片づけられない本当にしょうもない人間がたまたま不幸にも自分の親として君臨している場合があるのです。
ここは本当に冷静に、シラフによく本質を見極めるべきものです。
親からの精神的分離、精神的出家、精神的距離感をチョー広くたもつことです。
いざ襲われたときは身を許すふりをしてCAN玉を渾身の力を込めて握りつぶすとよいでしょう。女性の力では抵抗するにも限度があります。
海外ドラマなどでは父親が娘に乱暴をするというような描写が頻繁に出てきますが、日本もさほど変わらなくなってきていると思います。
今度怪しい行為をしたらすぐにいち早く189に相談です。警察でもいいでしょう。
世の中には父親母親が親として機能していない家庭は増えてきています。
その両親は、その先代の良心も同じような育て方であったりするものです。
あなたは、その家庭から精神的に独立、自立を意識して、親に対して高い人間性を求めないことです。
よりよく、やさしく、愛情ある、安心できる人間関係こそ真の家族です。
素敵な人との出会いを願っております。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様
返信ありがとうございます。敬われるべき行動をしていなければ敬わなくてよい、確かにそうですよね。内向的で決断力のない優柔不断な性格で何でもかんでも親に「これやっていい?」とか聞いてたので無自覚に親が全てとかよろしくない思考を持っていたのかも知れません。少なくとも自分の親を無理に愛さなくても良いと思うことが出来ました。
父親は虐待されて育ったらしいです、真偽はわかりませんが…
この投稿が親や近親者にバレないだろうかとどこの掲示板に行っても心配ですが、取り敢えず吐き出すことができて良かったです。
纏まりの無い長文で申し訳ありません、ありがとうございます。

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