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基本的にお坊さんは愛想が悪いのでしょうか?

休日はよく神社仏閣をめぐります。
もともと仏教には全く興味がありませんでしたが、
仏様に手を合わせるうちに仏教についてだんだんと知りたくなってきました。
私自身接客業をしてますので、仏教でいうおもいやりの気持ちは大変共感できるものがあります。

ただ、最近某山口県のお寺に参拝した時のことです。
拝顔するのに隣の売店でチケットを買うのですが、売店のお坊さんが愛想が悪いというか、威圧感のある言い方をする人で大変不快な思いをしました。

お坊さんも仏様じゃなくて人間ですので、色々な人がいるのは理解できますが、もう少し下界の人達にも優しく接してほしいものです。
お店じゃないのでクレームもいえませんが、
そういうことがあって私の足がお寺から遠のくのも仏縁だと最近考えるようになりました。
やはりお寺は修行の場であり、全てのお坊さんが人にやさしいと思うことは間違いなのでしょうか?

お寺
有り難し 44
回答 3

質問投稿日: 2015年11月16日 14:00

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

増殖炉のような…

なんだか分かりませんが、「不快な思いをされた」とのこと、それはご不快だったでしょうね。
私としては、あなたの問いかけを拝見して、心配になります。
この文章を読みますと、
一度、不快な目にあった→すべてのお坊さんが優しいと思うのは間違い→基本的に愛想が悪い
「夢の高速増殖炉」のように、どんどんスケールが大きくなっています。まるで、アリンコを見つけて、虫眼鏡で見て、顕微鏡で見て、視野いっぱいにしているような。
アリンコか、と思っていれば、通り過ぎるなり無視するなり、手で払えばいいのですが、視界いっぱいに入っていると、何とかしなければならない。
「仏教でいう思いやり」に共感されるとのことですが、そのお坊さんが「思いやりに欠ける、威圧的である」と感じたなら、あなたが真似しなければ、再び訪れなければ、それで済むことではありませんか?

「恐れ入りますが、今の言い方では、参拝された方が気持ちよくお参りできなくなるかも知れません。私自身、少々圧迫感を感じました。気持ちよくお参りできるために、どうかもう少し、小さな声でお話しください」とか言えるなら、それは思いやりの実践になるかも知れません。次にお参りに来る方、これからも売店で接していく方、両方のためを思っての発言でしょう。
そうとまでは言えなくても、お店並みにクレームのお手紙を出しても宜しいと思いますよ。それを「面倒な、お節介」と思うか、「思いやり」と評価するか。

さて改めて、タイトルの質問です。
「基本的に坊さんは愛想が悪いのでしょうか」 基本を求めることに意味はありません。「受付として」であれば、愛想の良い方が好ましいのだろうとは思います。しかし総ては結局、程度問題です。夜の店の呼び込みのような坊さんが受付にいたら、やっぱ嫌でしょう?

2年9ヶ月前

和顔愛語が基本ですが、不動の憤怒が必要な時も有ります

  一般論から言えば、坊さんと言ってもいろいろな方が居ります。その方その方で仏教の学び方も修行に仕方も異なっております。学びが足りない、修行が足りない、そういわざるを得ない場合もあると思います。この度、ぱんだ道雪様が或る寺を拝観しようとした際に、売店の僧侶の応対によって不愉快な持意をされたとのこと、仏教に関わる一員としてお詫び申し上げます。
  私なりの経験ですが、買い物したり食事したりする際に、素晴らしい笑顔に迎えられることもあれば、ひどく無愛想な表情で応対されることもあります。世の中には愛想の悪い人はそれなりに居られると思います。他人からの指摘を受けて反省し改善の努力をし、改善される方も居ます、残念ながら、改善が見られない方もおられます。尚、悪意が無くても、言葉遣いがなかなか直らず損をしている人も居ます。本人は無愛想な態度を取っているつもりが無くても、そう受け止められてしまう「顔つき」の方もいます。

  ぱんだ道雪様が不快な思いしたことを相対化しようという意図は全くありません。ぱんだ道雪様の御質問を拝見すると、「すべての坊さんが人にやさしい、と好い。」と思っていたことが、更に「すべての坊さんが人にやさしくあるべきだ。」という決めつけになっているように感じます。ちょっと残念です。

  仏教では「和顔愛語」という教えを説きます。私もこの教えを実践するように努めているつもりです。檀家さんにはこの教えを基本として応対するようにしております。しかし、時には少々きつい言葉で注意したり、険しい表情で応対せざるを得ない時も有ります。その方なりの人生観があるにしても、先祖への畏敬の念が無かったり報恩感謝の意味を取り違えて居たりしている場合、「その方が自分の身勝手さや思い違いに気付いて欲しい。」「良い方向に変わって欲しい。」という思いから、少々きつい口調で申し上げたことがあります。(あまり貫禄が無いので、威圧感は出せなかったと思います。)
  基本的には、人は和顔愛語を以て他者に接すべきであり、他者を不快にする言葉遣いと顔付きは改めるべきだと思います。それと同時に「不動明王は憤怒の形相をしているが、その心は慈悲に満ちている」という場合があることも理解して下さい。

2年9ヶ月前
回答僧

願誉浄史

私達はお客様扱いに慣れすぎている

コンビニでもスーパーでも、マニュアル化された接客が普通になっていますから、その感覚で期待していると「無愛想」に感じるのです。
受付があって誰でも参拝できるなんて、充分愛想のよいお寺です。
不審者扱いされたり、そもそも誰もいないお留守のお寺もありますからね。
お寺は営利目的ではありません。日本の店員さんの愛想よさのほうが、人類全体から見たらむしろ異常なのかもしれません。

2年9ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

貴重なお答えありがとうございます。

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