仏様もお酒を嗜まれるのでしょうか?
好奇心からの質問です。
お不動様をお祀りしているお寺では、お神酒が供えられているのを良く見ます。
それで私も何も考えず、自宅の祭壇にもお酒をお供えしていたのですが。
でも考えてみれば、お不動様は仏様ですよね。
神様なら分かるのですが・・・・
お寺にお参りをして回っていますと、愛染明王さんにもお酒が備えられていました。
また弘法大師さんや観音様にまで備えられているのを見たことがあります。
お寺の人に聞いてみたこともあるのですが、
「さあ、昔からやっていることですので・・・」
本当のところ、仏様にお神酒というのは、仏教的にどんなものなのでしょうか。
物欲。ひたすら物欲。 余計な好奇心。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
真相は闇の中ですが、傾向として
お寺でも神様にはお酒をお供えすることはよくあります。お坊さんも仏様も出家者ですが、神様は出家していません。お供え者とは要するに「おもてなし」ですので、お坊さんの都合ではなく相手の好物をお供えさせていただこうという発想はごく自然なことです。
ウチのお寺でも鎮守のお社の神様と韋駄天さま、大黒天さまにはお神酒をお供えします。
ここで不動明王や愛染明王は厳密には「明王」です。仏ではないんです。明王とは仏教を護り、悪魔(マーラ)を撃退する守護神。
さらに明王とは天部の天の一種です。天女とか弁財天とかの天です。ウチのお寺の韋駄天さまや大黒天さまも天です。天部の神々はだいたいインド神話や神道の神々と同一視されています。つまり仏さまや仏教をリスペクトしている神々であって、仏教の戒を授かった出家修行者ではありません。
言ってみれば同盟国の尊い人たちみたいなものです。文化が違うんですよね。
なのですが、弘法大師や菩薩は当然、出家者です。ここは説明がつきません。だいたいこういうパターンは神仏習合の歴史の中で「神社からお寺に宗旨替えしたお寺」か、そもそも「神社なのかお寺なのか曖昧だったお寺」ということが多いです。
日光東照宮だってお寺なのか神社なのか二転三転してるんですよ。柏手を撃って参拝する作法が昔から続いているお寺だって存在します。今は明治の神仏分離や戦後の政教分離で所属がハッキリ分かれました、江戸時代はお寺も神社も幕府の同じ役所が管轄していたのでそのようなことが起きたのです。
あくまで傾向としてそういうことがよくあるという話です。実際のことはもう誰にも分からないでしょう。伝統を大事にするがゆえに間違った作法を千年変えずに受け継ぎ、今さら変えられないという事例もありますし。それはそれでロマンがありますね。
❝不飲酒戒(ふおんじゅかい)❞があるのですが・・・。
仏教では五戒と言って、守らなければならない戒めが5つあります。その中に❝不飲酒戒❞と言って「酒を飲んではいけない」とされます。酒を飲むと、つい羽目を外して、大きな事を言ったり、本音が出て他人の悪口を言ったり、喧嘩の元になったりetc、トラブルの原因になります。お釈迦様はそれを戒めるため❝不飲酒戒❞を説いたのでしょう。
タイやミャンマーなどの上座部の僧侶はお酒を飲みません。
さはさりながら、日本では?・・・。お坊さんは「般若湯(はんにゃとう)=智恵のお湯」などと言って、昔は隠れて飲んでいたそうです・・・😅。今では平気な顔して飲んでいますが・・・(笑)。小生考えますに、日本は神道がありましたので、仏教が伝来して「神仏習合」した結果、お坊さんもお酒を飲むようになったのではないでしょうか。
いずれにしろ、飲み過ぎてはいけません。「酒は百薬の長」と言われますが、一方「百毒の長」「命を削るカンナ」とも言われます。ほどほどにしましょう・・・。自戒を込めて…。合掌
質問者からのお礼
大慈 様
詳細なご教示ありがとうございます。
神様は出家していないので、お酒はOKなわけですね。また、「同盟国の尊い人たち」のご説明で、とても良く納得できました。
弘法大師さんや観音様にお神酒は、やはり神仏習合がそのまま伝統になってしまったわけですね。
とても面白いお話し、改めましてありがとうございます。
大塚 芳明 様
ご教示ありがとうございます。
やはり神仏習合が伝統になってしまったわけですね。日本の仏教は、良く言いますとお酒に寛容なのですね。
私も昔、お酒の飲みすぎで何度か失敗しております。肝に命じて、これからは気をつけたいと思います。
ありがとうございました。