何もかもばかばかしい
タイトルの通り何もかもばかばかしいです。
何を信じて何を思って生きればいいのかわかりません。
お坊さんだって生きるために「お坊さん」という職業を選んだんですよね。
お坊さんは生きることや悲しんでる人を励ましていますよね。
自分がいるから相手がいる。相手がいるから自分がいる。
悩んでる人がいるから励ます。ただそれだけのこと。
一人のひとが死のうが生きようがそれぞれの自由。
苦しいという気持ちはその人の気持ち。
その人がいるから苦しさがあるわけで、もしその人が苦しさを我慢したり
見て見ぬふりをして感じないように感情をないものにしたらその人は生きていないんではないですか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何もかも?いいえ、あなたの理屈こそ・・・
”お坊さんだって生きるために「お坊さん」という職業を選んだんですよね”
たしかに、メシの種、生業の側面が無いわけではない。
たしかに、たまたま寺に生まれたという理由で坊さんになった人も多いかもしれない。
しかしながら、お坊さんは単に生きるためではない、『活き活きと生きるため』に坊さんになったという人も確実にいるので、その点は認識を改めてもらいたい。
”ただそれだけのこと”
なんか文句ある?(笑)
これが取るに足りないごく簡単な事だと思うなら、ぜひあなたもやってみてください。ただ事でないことがよくわかると思います(笑)
”一人のひとが死のうが生きようがそれぞれの自由”
コイツはとんだ大間違い。これこそ、ばかばかしいの代名詞。
”苦しさを我慢したり見て見ぬふりをして感じないように感情をないものにしたらその人は生きていないんではないですか”
その通り。
だから「苦しさを我慢したり見て見ぬふりをして感じないようにする」とは真逆の理論とメソッドを仏教では教えています。
「くさいにおいは元から断たなきゃダメね」って昔トイレの消臭剤のCMがありました。あなたの苦しさの原因はなんだろう?冷静に分析して、新しい問いを起こして下さい。出てきた感情だけではお答えのしようがありません。
お釈迦様は言いました。
「努力して生きるのは不死の道である。
怠けつつ生きるのは死の道である。」
その人がもし苦しんでいて、もし我慢していて、もし周りに見て見ぬ振りをされていても、努力しているなら生きているということです。
やるべきこと、あるいはやりたいこと、あるいはできること、その努力をすることが生きることです。
何を信じたらいいか、それは自分、よく整えられた自分、冷静に落ち着いている自分。
自分の思いに耳を傾けてみてください。