父の葬儀でのことです。
初めまして、今年、父を亡くしました。
義両親が葬儀に来ました。
香典は1万円ありましたが、供花はありませんでした。
親戚にも言われたのですが、義両親は常識がないのでは?と・・・
供花がないのはおかしいと・・・
私も同じく思いました。
義兄からは香典、供花はありましたが、義姉、義妹からは香典も供花もありません。
義両親は私が挨拶しようとしても避けて行くのに、主人の勤務先の社長には人が変わったように笑顔で挨拶しているのを見て不信感を抱きました。
父は主人に対して、食事に連れて行ったり、決して悪くしたことはありません。
義両親は私のことを嫌っているとは思いますが・・・
それは、主人が異常なことをしていたため、義両親に言ったところ「あんたが悪いからだ!あんたが怒るから寝小便もできないんだ!」と言われたことが原因だと思います。
そして、父が入院中に主人が「病院に坊さんを呼んでお義父さんを楽にしてあげよう」と言ったことがあります。
私が「それって死ねってこと・・・?」と聞くと楽にしてあげたいと・・・
義母に言うと「苦しんでいたから坊さん呼んで楽にしてあげようって思ったんだからいいじゃない!」と・・・
色々なことが頭に巡り・・・許せない自分がおります。
義両親はお通夜には来ましたが告別式には来ませんでした。
理由は「行く必要がないから」とのことでした。
義両親や主人が憎くてたまらない自分がおります。
私の我が強いのでしょうか・・・?
せめて、花の一本はと・・・
思うのはおかしいことでしょうか?言
葉にしても、乱暴で悲しくなります。
義両親が亡くなっても供花を出したくないですっし、葬儀にも行きたいとは思いません。
2度と会いたくありません!
主人の暴言にも傷つきました。
離婚することを考えていたら、義母から「今まで我慢してきたんだから我慢しなさい。うちに(息子)帰ってきても迷惑だから!あんただって、両親がいないんだから行くところがないんだから我慢しなさい」と言われました。
頭から憎くて憎くて離れません。
私がおかしいのでしょうか?
支離滅裂な文で申し訳ございません。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
兄弟間の争いの結果がそれだったとみればよいでしょう
世の中には姉を刺し殺す弟もいます。
名のある人がそういうことをしたから、そういうことが明るみになったというだけで、水面下では日々恐ろしいことが怒っています。
あなたにはあなたのルールがあり、両親にも両親の兄弟にも同じようにお互いのルールがあった。
人間には自分の都合という価値観がある。
それが多くの人間の中心的なOSです。
だからみんな自己中心的なのです。
仏教を学ぶ、仏道を志す、菩提心を起す、宗教心を持つというのは、そういうチープなレベルにとどまらない志です。
これはあなた自身の人間性を高めるための機縁とするべきです。
他人との衝突を通して、それを自身の問題であると気づける人間こそは最も賢く、聡明な人間である。
あらゆる問題はその問題を起こす「箇所」が自身にあるのですから、他人の問題だ、他人のせいだと思っても、それは自分の身の上の問題であるとみるべきなのである。
それが自分の問題であるとわかったのであれば、改めるべき場所も相手もみな自分なのです。
あなたは今まで本当の意味で仏教とは関わってこなかったと思います。
本当の供養とはこれから始まるのです。あなたを仏道の上で導いてくれる指導者に出会い、心を豊かに自らも導いていくことです。
義両親に怒りではなく、心から義両親の存在を捨てなさい。
エターナルさん、こんにちは。
義両親のマナーが悪いのに腹が立っているのですね。社会常識からいうとちょっとというところがありますね。でもそんな義両親の事を怒っても仕方がありません。大喧嘩しても何をしても治ることはないでしょう。だから怒っても無駄だと理解してください。
一番良いのは、気にしないこと。義両親ではありますが、実質的な被害がない限りは空気の存在にすることです。そして親のことは夫に任せることですね。あなたが怒っても仕方がありません。
大人のお付き合いというのがあります。生き方の違いでどうしても合わないこともあるのです。その時は大人の対応をすれば良いのです。拘ってはいけません。腹を立てればその義親と同じレベルまで下がってしまいます。愛想笑いのお付き合いで良いのです。
そんな無駄なことで悩むよりも、もっと違うことに目を向けましょう。趣味でもスポーツでも、ストレスを発散して、快適な生活を立て直してください。
がんばって!合掌