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許せません‼

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私は憎くて悔しくて、許さない会社社長と妻と社長の不倫相手や職場の人達がいます。

会社社長の不倫相手は、毎日みなの気に入らない事を全てを報告している。
会社社長妻や職場の人達も、社長が悪いと陰で言っていても働かせて給料をいただいているからと社長を否定しても社長の前では逆らわず、何か贈り物を頂くとしょうがないよとなる人ばかり。

今回退職します。

きっと笑ってる。喜んでる。と考えると何か仕返ししてやる‼
ダメになればいい。無くなってしまえと願ってしまいます。
忘れようとしても忘れられません。

私は、会社の為にと頑張ってきたのに!何を今までやってきたのか。
やってもいない事をやったと言われ!嫌がらせされ、証拠も残せず訴えられない。

こんな仕打ち‼許せません。

この社長は今までも、何人も泣かせてきたのに、平気でいる。
私が恨まなくても!
悪い事をした人達に悪い事返っていきますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

怒りを克服した方が良い

人を恨むより、腹を立てる自分の性格を改めることにエネルギーを注ぎましょう。
仏道とはそういうものです。
仕返ししたけりゃ、いっそのこと不倫の証拠でもそろえて仕返しされたらどうでしょう。
それをやったところで別に誰かが幸せになれるかどうかは別問題。
不倫は他人が被害を受けている当事者でもない限り他人が首を突っ込むことでもないでしょう。
あなたのテーマは自分の怒りではないでしょうか。
今後も怒って腹を立てていれば、パートナーも子供も生き地獄です。
自分の心の怒りのエネルギーは自己責任です。
自らの持ち歩く火の始末は自分で本当に何とかしないと一生その火で焼かれるのです。
あなたが問題にするべきことは相手ではなく、相手を恨んで苦しんでメラメラ燃えている自分の心の方を、こそ。
今後その人間たちと会うことはありません。
あなたの怒りの心は今後も一生火がつく可能性があるのに、やけどするその日の起こる場所もやけどする場所も自分なのに、なぜ他人をいつまでも恨んでいる必要がありましょうか。

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さっさと忘れて新しい職場を探してください。

あこさん、こんにちは。

ひどい会社ですね。
やめて正解です。まじめなあなたが苦労する必要はないのです。
そんな会社は必ず良い方向に行きません。どんどん傾いて行くでしょう。だからあなたがその人たちと同じレベルになって恨む必要はないのです。
知っていると思いますが、仏教の教えには見ざる、言わざる、聞かざるの三猿の教えがあります。悪いものに関わるなという教えです。そんなものに拘る必要はないのです。さっさと離れて違う生活をすれば良いのです。そんなものに関わったら余計に自分の生き方が悪くなるだけです。現に、あなたの心は少し恨み晴らしたいという気持ちになっています。恨みは自分にもかえってくるのです。
悪い人は必ず道を外します。そして死んでも地獄に道に行くのです。

後は仏さまにお任せし、自分の徳を作る道を歩んでください。あんな人にはなりたくないという半面教師です。がんばって!合掌

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自業自得

仏教に自業自得という言葉があります。自らの業(ごう)の報いは自らが受けるという意です。

しかしこれはあこ様のご希望である

>「悪い事をした人達に悪い事返っていきますか?」

という意とは少し違いがあるかもしれません。

仏教が説くのは因・縁・果です。原因があって条件がととのって結果が生まれる。例えば、その会社や社長がいかに社会的に悪といわれる方法でお金儲けをしていたとしても、お金儲けの原因を作り、条件が整えばお金が儲かります。反対にバレたり社会的制裁を受ける原因と条件がととのわなければそうした結果は生まれません。

しかしそれでもその社長さんは自らの業の報いは自らが受けることになります。同様に、あこ様も自らの業の報いは自らが受けているのです。

業とは

身業:身体的行為
口業:言語
意業:意識・心のはたらき

があり、それぞれが内容によって善い報いを生む善業、悪い報いを生む悪業、影響のない無記業に分けられます。ある行為が後に影響を及ぼすというはたらきを業というのです。

ここで、社長さんがあこ様を殴るという例で考えますと、社長さんが殴るという社長さんの行為によりあこ様が殴られたという報いを受けたように見えます。しかしその表面上の現象というのはあまり仏教では重要視されない面かもしれません。それよりも殴られたという行為によりあこ様がおこした心のはたらきによってあこ様自身が後に影響を受ける。これを自業自得というのです。
すなわち、殴られても気にも留めなければ無記業、あるいは殴られることによってそれが相手のためになったと喜ぶことができれば善業にもなるかもしれません。
しかし、殴られたことに怒りの心を起し恨みを増幅させるとそれは悪業になって後々まで自らを苦しめることになるのです。

このように、その社長さんも表面上は自らの行為により上手くいっているような結果を生み出していると見えるかもしれませんが内心はわかりません。むしろまだその悪業に気づいていないという恐ろしさ・悲しさもあるかもしれません。
そして業というのは心のはたらきのみならず、現象にも少なからず影響があるのかもしれません。(この辺は勉強不足で私も詳しくありません)
その社長さんが心の苦を抱えるのみならず、会社もこのまま上手くいくというのは考えにくいかもしれませんね。

あこ様はあこ様の業を整えていきましょう。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

初めて今回ご相談させていただきました。
涙がとまりませんでした。ありがたいです。
私もあの会社の職員。涙を流し去っていった人もいるのを知っているのに、平気で仕事していた同じですね。
ここから早く、逃げたいとずっと思っていたのに、自分がされたら怒り許せなくなっていました。逆らう者はいらないのでしょう。
数日、自分の怒りばかりでした。私を支えてくれる人達の言葉さえ聞こえなくなっていました。

恨んでかえってきたら嫌ですし、自分の業整えないとですね。少しずつ少しずつかもしれません。自分の徳を作る道を歩んで前に進んでいきます。
ご回答ありがとうございました。

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