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善き人、悪き人

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有り難し有り難し 103

こんにちわ。
今年も残り僅かとなりましたね。寒くなってまいりましたが皆様体調崩されてないですか?

質問ですがお釈迦様のお言葉で善き人と交れ、悪き人とは交わるなというお言葉がありますがこの善き人と悪き人をどう解釈すれば良いのか考えているのですが分からない状態でいます。

自分の中では十善戒を守りながら自分で改善しながら生きている人だったり、目標に向かって突き進んでいる人だったりと思いますが、自分中心で生きてる人や十善戒を守らず目先の快楽ばかり求め生きている人の中でも良い所はありますし、そうすると全員善き人になってしまいます。逆に目標に突き進んでいるような人でも道徳心に外れてしまう人もいたり、ますます分からなくなってしまいます。
完璧な人はいないと思いますが仏道の中で判断基準のようなものがあるのでしょうか?

自分が今後どれぐらいの人とのお出逢いが頂けるかわかりませんがその中でせっかく善き人とお出逢い頂いたのに自分がそれに気づかないままでは残念です。
お忙しい所、恐れ入りますがアドバイス頂けたら幸いです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二元論で考える癖を捨てる

この手の教えは何度も出てきますし、具体的にどんな人が善く、どんな人が悪いという教えも出てきます。ただし、ここメチャクチャ重要なんですが、『出家者に関する教え』です。つまり修行仲間を選びなさいとか、帰依する師匠を選びなさいということであり、一般社会の人々を推し量るモノサシにしては絶対にいけません。

真慧師の挙げていらっしゃる発句経の78偈についても、片山一良教授によるとチャンナ長老という弟子に向けた教えです。本当かどうか知りませんけどね。それこそ口伝をまとめたものですから。でも、友という単語にしても、お釈迦さまが弟子たちに呼びかける時に「友よ」と使っていたワードですし。
逆に406偈では、お弟子さんが不見識な世俗の人に酷い扱いを受けても怒ってやり返さなかったことについて、お釈迦さまは「その悪人とは距離を置きなさい」ではなく「他の弟子たちも見習うように」と説かれています。

発句経とかあの辺の原始経典に見えるお釈迦さまの言葉は『原則としてケーススタディ』です。どんな症状の誰に対しての教えかによって一見矛盾した言葉が出てきます。
だから本当はお釈迦さまの言葉って入門書としては最悪なんです。仏教というものの方向性が分かってきてから読まないとかえって誤解したり迷ってしまうんです。

これはhasunohaの我々の回答にしてもそうです。厳選癖で苦しむ人には「厳選は止めましょう」と回答しますし、何でもかんでも信じてしまって苦しむ人には「選ぶということを知りましょう」と回答します。対機説法とか応病与薬と言いまして、仏教ってそういうものなんです。

もっと言えば「判断するという行為そのものを捨てましょう」と説く場合もあれば、「正しく判断し、苦を離れるための原因と結果の軌道に自分を乗せましょう」と説くことだってあるんです。

善か悪か、0か100かではなく、引き出しを増やしていくつもりで仏教に触れてみて下さい。
自分自身の心構えの引き出しを増やす。付き合える人の引き出しを増やす。他人の善さを見出す引き出しを増やす。反面教師の教訓の引き出しを増やす…等々。

その引き出し作りは仏教一般論ではなく、ぜひあなた自身の身の回りのケーススタディをお坊さんと一緒に考えていきましょう。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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ブッダのことばの受けとめかた

「悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。」
(岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば 』中村元・訳)

おそらく、このお言葉を指しておられると思います。
お返事の前に余談を少しばかり。

法句経、ダンマパダ、スッタニパータと称される経典は、現代に伝わる最古の部類のひとつで、初期の仏教、ブッダの直説をうかがい知るものです。
 ただし、ブッダが筆をとって書物を著したのではなく、説法を聞いた弟子たちによる編集や翻訳などを経てその一部が伝わり、更に近年になって日本語に翻訳されたもの(中村元先生ほかの同書)が、いま私たちの目に触れている、ということはご存知だと思います。
 それはつまり、シャカ族のゴータマ=お釈迦さまの言葉に限定していません。お釈迦さまその人はブッダ(目覚めた人)ですが、ブッダは歴史上お一人ではありません。お弟子様のブッダ、現代に名の伝わらないブッダもおられたでしょう。それらのおことばが元になっているということですから、上記は「お釈迦さまの」ではなく「ブッダのことば」です。

また、「十善戒」という戒めを拠り所とされていますが、これは江戸時代の真言密教の僧侶のおしえです。それが間違いということではなく、ブッダの言葉を解釈するのに、かなり時代背景の異なるおしえを並べると、混乱するもととなりそうです。
(十善戒をとなえられた慈雲上人は法句経も研究されたかもしれませんが。)
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さて、善き人と悪き人の判断基準というお尋ねについて。

申し上げるなら、まさに「判断に迷っていることが正しい」と思います。
私という不完全な「ものさし」で善き人・悪き人を裁くことが、どれほど恐ろしいことか。

同じく「ダンマパダ」の一節に次の言葉があります。
「心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることがない。」

だから、迷いを恐れていいのだと思います。迷うことが当たり前とひらき直るよりも。
そんな「心の弱さ」を認め、気づかせてくれる存在を、私は善き人と考えます。同時に私を高慢にさせ、人を裁き選り分け、自分自身をも切り刻んでいく悪き人も、その要素は誰にでも備わっていると考えるべきでしょう。
私に善悪が同居し、愛する人、尊敬する人、罪を犯す人、怠惰の人にも善悪が同居しています

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有り難し
おきもち

北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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諸仏

こんにちは。

熱心にお釈迦様の教えに学ばれているのですね。素晴らしい事です。

仏教における善悪の基準というのはやはり、涅槃・覚りに近づける方向性のものが善、逆に遠ざける方向性のものが悪ということになるでしょう。

しかしそれがどうしても私という個人の人間のレベルでの判断になると「私の都合」になってしまうものです。

あの人はいい人、あれは悪い出来事、あの人はどうでもいい

という様に私が裁判官にでもなってしまいます。

しかし仏法に私を学ばせていただくのならば、あらゆる人が私にとって仏法に目覚めさせてくれるはたらきをもった善き人であったといただく、これを諸仏(しょぶつ)と呼びます。

私個人にとって私のモノサシで図るとどうしても悪人としか思えない。しかしその人を通して私が仏法に目覚めるならばその人もまた仏様と同じはたらきをする諸仏なのです。

もちろん私たちが生きる現実としてそれは中々難しい事です。どうしても避けて遠ざけたくなるような怨憎会苦という出会いもあることでしょう。
しかしそのこと一つとっても仏法との出会いとなり得ます。人の付き合いとしては避けたとしても、そのことを通して常に我が身が仏法に照らされる。それこそが仏法に私を学ぶという道の実践でしょう。

頭の中で作った善悪の基準でもって人を裁いていくのでなく、出会いの事実を持って仏法に包まれていく。
「あらゆる人が私にとって諸仏でございました」といただける世界は本当に豊かでしょうね。私もそうあるように精進したいと思います。

これからもよろしくお願い申し上げます。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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つつましく生きる

寒くなってきました。
善き友と歩き、悪との交わりを避けること、これは大切に温めたい問題です。

まるこさんのお察しの通り、人には善い面も悪い面も両方存在します。
だから、判断に迷いますね。

子供の時、学校や親御さんから、人の悪い所ばかりに注目せず、善い所に注目してあげなさいと習いませんでしたか?

素晴らしい教えではあるのですが・・・
その教えが、悪い人と感じながらも、こんな部分もあるし・・・などと判断を迷わせる結果にもなりかねません。
また、その逆もです。

仏教には、中道という考え方があります。

とびぬけて善い面を備えていても、悪い面を備えていても、行き過ぎはダメということです。
ちょうど中間くらい、つつましく目立たず謙虚で、そんな方こそが善き人である、少なくとも私はそう思います。

善人と交わり、より良い人生を歩んでください。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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質問者からのお礼

真慧様 大慈様 吉武文法様
海老原 学善様
ご回答頂きありがとうございました。

初めて知る事もあり、そういう事だったんだと認識する事で自分を見つめ直す事が出来、今までガチガチに絡まってしまった糸がスルスルと解けていくような感じになり、気持ちがスッと軽くなる事が出来ました。
お出逢いの中で自分が精進していきたい思います。
色々とご丁寧に教えて頂き、本当にありがとうございました。

皆様年末年始、お忙しい時節と思いますがどうかお体にはご自愛下さいませ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ