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お坊様は、水槽の金魚にも真理の片鱗を見ますか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 25

忙しく世知辛い毎日を送っているのですが、
先日、金魚の水槽の水を取り替えました。
夜、きれいな水槽の中でスイスイ泳ぐ金魚を見ていると、
時がたつのも忘れて見入ってしまいました。

ふと、「心を空っぽにして、ただ金魚を眺めるだけって、
すごく仏教的な行為だよな」と思ってしまいました。
闇夜にカラスの鳴き声を聞いて悟った禅僧の話も
連想してしまいました。名前は忘れましたが・・・

私にとって金魚を眺める一時は、癒しの時間でしたが、
修行を積んだお坊様は、水槽の金魚にさえ
悟りにも通じるような真理の片鱗を感じ取るものでしょうか?

それとも、金魚はただの金魚ですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なるほど。なにもかも忘れて金魚を観るのは良いですね。もしかしたら水槽の金魚で悟る人もいるかもしれません。一方で悟っている状態は「ぼんやりしている」状態とは真逆だと思います。意識はハッキリクッキリした状態ではないかと。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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あなたにも金魚にも

拝読させて頂きました。
そうですね、生き物がありのままに生きる姿を見ると心癒されますよね。
小さな金魚にもこの世に生を受けてあるがまま生きる力を持っている姿は生きることの本質を見ることができるように感じますね。

その中であなたが仏教や悟りを感じたりするのこともあるでしょう。

一切衆生悉有仏性

全てのものには仏になる力を備えているのですから、その泳ぐ金魚にも仏性が備えられているのでしょうね。

あるがままに生きることでまた輪廻を繰り返すかもしれませが、いずれ悟りを開いて仏となることもあるでしょうからね。

あなたもこれからご精進なさって仏性を磨いて下さいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「全ては縁起し空である」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「全ては縁起し空である」として、もちろん、金魚もそのようであり、例外はあり得ないと考えます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

先日、会社帰りに車を塀に擦ってしまう自損事故を起こしまた。
現場近くの公園には交通安全の仏さまでもある馬頭観音さまの
石碑が建っていました。

今日は交通安全の為、また、取り返しのつかない
事故になっていた可能性よりも、諭吉さん数人分の修理費の方で
落ち込んでいる弱い心を戒める為に、石碑にお参りしました。

石碑には「近衛騎兵連隊長だれそれ」と書かれており、どうやら
軍馬の供養の為に建てられたものと思われます。交通安全と言う当初の
目的に合うものでは無かったのですが、せっかくのご縁なので
五円玉を置き、手を合わさせて頂きました。

私は、人間だけでなく馬や魚など、あらゆる動植物の命を
かけがえの無いものと捉える仏教の考え方が好きです。
生き物の世界は、素朴で力強くて自由な生き様を
まざまざと見せてくれるような気がします。

光禪 様
いつもご助言頂きありがとうございます。
金魚で悟りを開かれた方、もしご存知なら
ご紹介頂けないでしょうか?(笑)
やはり、ぼんやり眺めるだけなのは悟りでは無いんですね。
迷い多き凡夫ですが、今後ともお導きお願い致します。

Kousyo Kuuyo Azuma 様
一切衆生悉有仏性って、きれいな言葉ですね。
人と金魚と、形は違えど仏性で繋がってる気もしてきました。
精進と言って、何をして良いのかわかりませんが、
とりあいず朝晩に短い経文を唱えて、食器を洗う事にします。
(台所仕事も仏道修行の一環であると聞きましたので)

僭越ながら・・・
ハスノハ質問者様方の苦悩軽減、満願成就の為、
また、お坊様方のますますのご健勝の為、お祈りさせて頂きます。
年末の慌ただしい時期ですが、お風邪などひかぬようご自愛下さい。
ー合掌ー

追記

川口 英俊 様
ご回答ありがとうございます。
空とは「むなしい」ものではなく、この世を成り立たせている一切の
縁起である、と考えて良いのでしょうか?いつも勉強になります。

及ばずながら、龍樹も勉強させて頂いています。
経文で「Aが清らかである」といった場合、「Aは素晴らしい!どんどんやりなさい!」
ではなく、「ありのままに見る限り、A自体に善悪は無い」と読むべきなのでしょうね。
理趣経や般若理趣分もそのように読むべきだし、
むしろ世俗諦で読むと誤解を生じると言う事なんですね。

「金魚の水槽が清浄である」と言えるような境地にはなかなかなれませんが・・・
今後ともご教授お願い致します。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ