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あとどれくらい

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有り難し有り難し 29

あとどれくらい悲しい気持ちになれば、涙は止まるのか。自分の病気、うまくたちまわれず役立たずな私。会社でもお荷物。自営業だから、いつも主人に嫌みを言われ、従業員にもなめられ、義理の両親にもあきれられ。
いろんなことをがまんしてきた。
子どものため。

でも、そんな子どもも反抗期で、いつも私に怒る。
あと10年、子どもに、お弁当が必要。
もう、10年したら、生きてる意味ないかな、、

母が元気なら先には逝けないけど。

毎日そんなことばかり考えてます。

やりたいこと、ほしいもの、いきたいとこ、。
なんにもない。からっぽです。

なぜ生まれたのか、なぜ子どもたちは私のとこに生まれてきてくれたのか、

こんな母で、こんな妻で、こんな嫁で、こんな娘で、ごめんなさい。

私がちゃんとした、頭がよい人なら主人はモラハラしなかったかな、、、

子どもたちも、幸せだったかな。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「私はこの瞬間を生きている!」

…、と言ってみてください。
そして、本当にそれを実感してみてください。
そして、ついさっきまで、5秒前まであなたが生きていたのは完全にインサイド、アタマの中、インナーワールド、自己の牢獄、お池にハマってさあ大変状態であることを自覚してください。
そっちを「思量」の世界と言います。
仏道は、そっちのインナーワールドではなくアウトサイド、リアルの現実。目前の現実、「事実」の世界にガッツリ目を開いて生きることです。
多くの人はその「現実」が辛いと言います。
それは現実ではありません。
現実を切り取って、あなたの好き嫌いなどを評価した方の現実です。2ndなのです。
私の目の前では、子供がせっかく掃除したところを外からはだしで入ってきて土砂だらけです。多くの人が「辛い」と思う現実は、その後からの事を観て切り取った評価された現実の方なのです。
そのまえのリアル現実は「ただの土砂」土砂であるとも知らない。ドシャ―
そういう現実に出逢うことが仏道です。
そのためにも今さっきまで自分が考えワールドにドップリハマっていたことを自覚して、にどとそこに陶酔しないことです。
死にたくなったら電話してください。
人とマトモに関わることが無さすぎるんじゃないでしょうか?
「あなたは今、この瞬間を生きている!(自分をそっちへ行かせてはいけない)」

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

家族の理解と協力を得て、仕事の段取りを工夫してみよう


自分の病気、うまくたちまわれず役立たずな私。会社でもお荷物。自営業だから、いつも主人に嫌みを言われ、従業員にもなめられ、義理の両親にもあきれられ。

  こういうお気持ちの日々を送っておられると言うのは、つらいですね。残念ながら、個人個人の能力の差というのは現実にあります。他の方々が100メートルを15秒で走れるのに、自分は20秒でしか走れない。陸上競技の短距離走だけだったらあきらめもつくけど、長距離走も跳躍もうまく出来ない、球技も体操もうまく出来ないとなれば落ち込んでしまいますよね。
  仕事や家庭生活はスポーツとは違います。スポーツは同じ条件で速さや上手さを競います。しかし、仕事も家事も同じスタートラインに立って用意ドンで競争するものではありません。仕事も家事も段取りとチームワークの勝負だと思います。100メートルを走るなら、先に30メートルの場所に行って居てスタートすれば、先にゴールに着きます。100メートルで勝てなくても、相手が一人で1000メートル走るところを3人でリレーして走れば、勝つことが出来ると思います。スポーツではルール違反ですが、仕事や家事では「段取りが良い」「チームワークが素晴らしい」と称讃されます。
   「速く走れない選手」が、仕事も家庭も完璧にこなそうと思っても無理です。ます家事では、家族の協力です。「あまり器用では無く、持病を抱えている」ことを旦那さんもお子さんも知っている筈です。次のように、腹を割って旦那さんやお子さんと話し合っては如何でしょうか?

  仕事も家事も全部完璧にこなすことは、今の自分には出来ない。無理がきかない体だし、何とかしたいけど、仕事でも迷惑を掛けてしまっている。経営者である義父、従業員、そして取引先等の評価と信頼を得るためには、仕事の準備と段取りを工夫して行くしかない。今よりも仕事に時間を取られてしまうけど、自分が出来る範囲では家族のために、家事も一生懸命やりたい。あなたたちもわかっていると思うけど、私は両方を完璧に出来るほど器用じゃない。ごめん、家事の中の此処と此処は手伝って欲しいの。

 旦那さんもお子さんもあなたの泣き顔を見たいわけでは無いと思います。家族の力を借りてチームワークを発揮しで、笑顔の多い家庭に変えて行ってください。

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おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

他のことを考えましょう

同じことばかり頭のでグルグル考えていても、悲しみが増幅されて苦しいだけでしょう。
誰に何を言われようと、ただの音声、つまりは空気の振動の波が聴覚に入っただけなのです。
音はその時にしか発生していないのに、頭の中でそれを何度も繰り返すと、悲しみが増えてしまいます。
無理やりにでも、別のことを考えたり、鼻歌でも歌って、気持ちを入れ替えましょう。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

願誉浄史さま
回答ありがとうございます。
そう、受けとる私にも問題がありますね。
同じことを、いわれても流せる人もいますよね。私は、深く深く掘り下げてしまうのです。

無理やりにでもべつのことを考える。

難しく感じますが、努力したいとおもいます。
本当は、笑っていたい。子どもにも。
ありがとうございます。

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