同じ失敗を繰り返します
この前レポート課題でキモとも言える重要な部分を書くのを忘れたまま提出してしまい、再提出になりました。
先生も「何でその部分だけ書いてないの…」と苦笑いするほどでした。
こんどこそ!と気合いを入れて取り組んだ課題を提出したところ家に帰ってまた重要な部分を書いていないのに気づきました。
その部分を書いていなかったら何のために実験をしたか分からないほど大事な部分で、寧ろ何故抜け落ちるのか不思議なくらいです。
課題ではなく自分の書きたいことだけを書いたレポートになってしまいました。
研修職に就きたいということを先生に言ってしまった手前、実力不足以前の話でとても恥ずかしいです。このような状態で研究者には毛頭なれないし、どうしてあんなに自信満々に研究者になりたいことを話してしまったのかと本当に恥ずかしいです。
もう二度と同じ失敗をしたくない!と思うのと同時に二回目の失敗をしたレポートを受け取るのが本当に嫌です。レポートは生徒一人一人に手渡しされ、どこが良かった、悪かったを言ってくれるのですが確実に再提出です。恐らく先生も「またか…」みたいになっていると思います。
自分の注意力の無さと、それを自覚しないまま自信しかなかった自分を本当に恥ずかしく思います。実力を自覚していなくて、ただビッグマウスな痛い奴になっているのではないかと…
今でも研究者には憧れます。しかし今は自己嫌悪でまともに先生の顔を見ることができません。どのようにして気持ちを持っていたらいいかアドバイスを頂きたいです。
人目がきになる くよくよしやすい
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それを甘んじて受けてこそ
こんにちは。若いっていいなあ!懐かしいなあ!と思いました。私は文系の人間ですが、やはり慢心から大失敗しました。まさしく先生の表情、今でも覚えている程です。
結局、今はその専門ではありませんが、詰めを怠らないとか、誰かに読んでもらってから文章を発表するとか、骨子を徹底的に洗ってから構成を考えるとか、そんな工夫をするようになりました。だんだんと…。
学校はね、間違えて指摘されて、みっともない思いをして、少しずつ間違えなくなって行くための場所です。幼稚園から大学院まで、ずっと試行錯誤の場所なのです。どんな誤りをいつ起こすか、それは人によって様々。
実は社会も同じことだと思うのですがね、実社会では減給とか降格とか社会的制裁とかありますから、一応「どんな試行錯誤もアリ」ではありませんけれど。
試行錯誤して、間違えながら学んでいく。自分の不甲斐なさや情けなさを甘んじて受け入れながら進んでいく。娑婆世界の育ちとは、そもそもこんなものなのだろうと思います。
いま公開されているスターウォーズ、見ましたか?ルーク・スカイウォーカーがいいこと言ってますよ。ぜひご覧下さい。
質問者からのお礼
佐藤良文さま
「学校は間違えて、そしてその間違いを直すところだということ」
私は学校に行く大事な本来の目的を忘れていたようです
この言葉で気持ちが楽になりました
なるべく間違いは少ない方が良いとは思いますが、恐れずに頑張っていこうと思いました
スターウォーズはDVDが出たら見てみます!
本当にありがとうございました