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他人に期待しない方法を教えて下さい

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有り難し有り難し 36

私はすごくワガママで自分に甘いです。
外(会社など)では他人に甘えず自分で頑張ろうと必死なのですが、家(実家+自宅)では真逆ですぐに両親や旦那を頼ってしまいます。

家事や育児のことで『ついでに〇〇おねがい!』とお願いしたり、私が家事をしている時に子供もほったらかして旦那が携帯ゲームをしていたりするとイラついてしまい、『今私はこれしてるから、貴方もあれやって欲しい!』と自分都合でお願いすることが多々あります。
自分が家事などで忙しい時、俺にも一緒に動いて欲しがるよね、と旦那に言われてしまい反省しました…

でも二人で同時に動いた方がやる事が早く片付いて自由時間が出来るし、何より嫌なこと(私にとって家事)の負担が減る!と自己中心的な考えが心の中にあります。
そのせいか私がお願いしたことを断られた時や後回しにされたら不機嫌になってしまいます…すごく自己中心的だと分かっています。
分かっていてもどうしてもだめなんです。

人に期待して何かをお願いするより自分で動いた方が相手にとっても良いでしょうし、断られた時の自分のイラつきも防げるので、この頼りがちな考え方をどうにかしたいんです。
私の甘えた性格を直すきっかけを下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのままでいい

ご相談拝読しました。

様子を見てないのでなんとも言えませんが、あなたはよく頑張っていらっしゃるのではないですか?家事に育児と忙しく、誰かを頼りたくなくのも無理はない気がします。家族、ましてや夫婦ならなおさらでしょう。
それでもあなたはあなた自身の在り方に問題を感じておられるのですね。まず、その問題を自覚できているだけで素晴らしいことだと私は思いますよ。

さて、ある仏様の話をします。その仏様は仏様になる前の修業時代に全ての人を救いたいと考えました。
そのためにその仏様は師匠の仏様にこれまでの先輩の仏様方が建てた200憶以上の国とそこにすむ人の様子を見せてもらいました。そこで人々の善いところも、悪いところもつぶさに明らかに見ました。
そして、どうしたら全ての人を救えるか考えて考えてとうとうある考えに至ったのです。

全ての人を「そのまま・ありのまま」救おう

と。年齢・性別・能力・資質・地位や名誉など何一つ関係なく、条件なく全ての人を救いたいと考えたのです。
それは悪い人の悪い部分をなくして救うのでなく、悪いままでも救おうというものです。

その方法は「言葉となって人々を救う」というものでした。その言葉を「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」といいます。その仏様は修行時代のお名前を法蔵(ほうぞう)菩薩と言いましたが、全ての人を救うという願いを成就して阿弥陀(あみだ)仏という仏様となり、そして「南無阿弥陀仏」となって私たちに届いています。

私は上手くいかない時、ふがいない時、寂しい時、感謝する時、嬉しい時、あらゆる時に南無阿弥陀仏とお念仏(ねんぶつ)を申します。
その時私には「あなたをそのまま救うよ」「そのままでいいよ」という阿弥陀仏のお心が届くのです。
「そのままでいい」と言われるからこそ、私は今そのままの自分に安心し、だからこそその私がどうなりたいのか?どう在りたいのか?と問うて頑張っていけます。
阿弥陀仏は変わりなさいとは一言もおっしゃりません。ただ私が変わりたいと思って努力するだけです。
「そのままでいい」と言われるからこそ、私はその自分の姿をありありと自分で自覚することができ、そんな自分を受け入れてくれるお心に感謝し、そしてその自分がどうしたいか問いながら歩んでいけます。

あなたも「そのままでいいんだよ」と許される居場所に出会えますことを念じます。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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ワガママと知っているなら少しずつ実践(笑)

ナナシさん、こんにちは。

自分でワガママだと落ち込んでいるのですね。
でもワガママとわかっているんだから、もうスタートラインについているんですよ。
後はアクションするだけです。

何か一つ毎日できる家族のためのものを作りましょう。例えば同じ時間にトイレ掃除をするとか、毎日お花を玄関に飾るとか、お部屋の模様替えを毎日少しずつするとか、自分のためではなく、家族が喜んでくれることをするのです。楽しいですよ。

頼れる時に頼れるのが家族です。だからいつでも頼れるように日ごろは家族を大切にしておかないといけません。積極的に家族のために生きていきましょう。ワガママしてもいいのです。ワガママの二倍以上帰していけばいいのです。

がんばって!合掌

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怒りの煩悩に気付く

人間社会では、互いに頼ったり手伝ったりしながら、より効率のよい方法を探るのは、普通です。
ただ、人それぞれに都合がありますから、頼んでも断られることはあります。

断られたとき、むかついたり悲しんだり後悔したりするのは、自分自身の怒りの煩悩です。
断られたら断られたで「ま、いいか」と済ませられれば、悩み苦しみストレスは減ります。
怒りの煩悩に気付いて、悩み苦しみストレスを自分で増やさないようにしましょう。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

私の為にご教授下さって本当にありがとうございます!!
皆様からの有り難いお言葉をしっかりと胸に刻みました。
旦那はこんな私でも文句を言わず側に居させてくれています。
それがどんなに幸せな事か痛感しました…
大切な人を喜ばせれるような自分になりたい!と強くおもいます。

先程またいつものように『ついでのお願い』をしたくなりましたがハッと我に返り自分で行動したら清々しかったです!!
たった少しのことですが…こうやって少しずつでも自分を良くして、もっと楽しい人生を送れるようになっていきたいです。

皆さまのお言葉が無ければウジウジしたままで動けませんでした。
本当にありがとうございました!!

「心構え・生きる智慧」問答一覧

普通の家庭への羨望、前向きにがんばれない

あまり一般的とは言えない家庭で育ちました。 親は共働きですが父親が働いたお金をすべてギャンブルに注ぎ込むため、生活費や学費がなくなり子どもの私や姉が高校に入学すると同時にバイトを始め母と一緒に生活費を工面する生活でした。高校卒業時に全部自分で責任を背負うことを決め家を出て、大学に進学しました。そして海外の大学院に進学し今に至ります。 現在私は30歳になり、海外で自分がずっとやりたかった仕事ができています。 それは子どもの頃からの地獄のようなアルバイトの生活とこれからの奨学金の返済義務を犠牲にやっとこの場所に立てているのです。なのにただ何もかも用意された環境で育ち、困ったことがあればすぐに頼れる実家や家族がいて、お金の心配をする必要なく日々を前向きに過ごせている周りの友だちが羨ましくて仕方ありません。 その上「逆境こそがんばらなきゃ!貧困を努力で乗り越えた人たちはたくさんいるよ!」「もっと賢い方法でお金を稼ぎなよ」と子どもの頃から何不自由なく育った人たちに言われても、素直に受け取れません。 周りからがんばれと言われても、そもそも子どもの頃から全部自分で稼いできた人が存在すること、親に頼れない家庭が存在することを知らない人ばかりで実際私の立場は誰にもわかってもらえないことと、周りとのスタート地点の大きな差をただただ思い知らされて心が折れそうです。 「確かにあの時もっとかんばれたんじゃないか?あの時少し怠けていたんじゃないか?」など自分の技量不足や努力不足も疑い始めました。でもこれでも立ち止まらず、立ち止まれずに心と体をぐちゃぐちゃに壊しながらも今まで一生懸命やってきました。 これからももっともっと前向きにがんばってお金を稼がなければなりません。それなのに私は今も周りの生まれた環境を羨み、比較して、なぜ私は今までもこれからもこんなに苦しまなければならないのかと絶望してしまいこれ以上がんばれないままでいます。 周りとの生まれの違いを気にせずに、どうやったら前向きにがんばれるでしょうか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 3
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愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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楽に生きたい

私は物事をマイナスに考える癖があるようです。 いつも怒られるのではないか、誰かから攻撃されるのではないか、嫌われているのではないかとビクビクしながら生きている事に気づきました。 「ちゃんとしなくちゃ」とか「人に迷惑かけないように」とかいつも気が張っていて何処にいても誰といても休まりません。 常に自分で自分を追い詰めているようです。 かと言って他人にそういう自分の状態を出しているわけではなく、周りの人は私がそんな事考えてるなんて思ってもいないと思います。 そのギャップにも苦しいです。 私は繊細で、大体の人が気にもしないような事を気にしているようです。 人の表情を読み取ってしまったりします。(今この人言ってる事と思ってる事違うな。など) 私のような人間がいる一方で、適当に生きている人(例えば人の話を聞かない人とか、遅刻する人、挨拶しない人、無愛想な人など色々な方がいますが)は凄く自由に見えて、ルールを守らなくても難なく生きてる人もいるんだと疑問に思ってしまいます。 嫌われていると思っていた人に話をしてみたら、そんな事ひとつも思ってないよ?大丈夫だよ?と言われたのですが、表情を読めば私に対して良く思っていないような感じに見えるので、「本心では嫌いだけど大人の対応をしてくれているんだ」と疑心暗鬼になってしまって辛いです。 他人の機嫌を損ねるのが怖いですし、自分を否定されるのが怖いです。 死を考える事は無くなりましたが、1日1日を終えるのが精一杯です。 もっと自由に生きられたらどんなに楽しい人生になるんだろう…。 自分なりに改善策を調べ、何度も何度も実行していますが、なかなか考え方が変わりません。 とにかく生きづらいです。 どうすれば楽に生きられるでしょうか?

有り難し有り難し 3
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必要以上の罪悪感を抱かなくする為には…?

最近、ちょっとしたことに罪悪感を感じてしまいます。勿論、謝るべきだなと思った事は直ぐ謝るのですが、普通の人なら気にしないようなことに対しても、謝った方がいいのかな?って何に対してもそう思ってしまうときがあります。 例えるなら、外に出かけてて、壁にカバン、もしくは手が軽くぶつかっただけでも、傷付けてしまっていてはどうしようと思って確認しても傷も何一つ無くても、明らかに自分がぶつけたところとは違う所に傷を見付けた時も、実は私がしたんじゃないか?ってモヤモヤしてしまったり、他にも普通の人なら謝らないような小さな事に対しても罪悪感を凄く感じてしまい常に謝ろうか考えてしまいます。 ですが、最近は、その何に対しても罪悪感を感じて謝ろうとするのは、相手を思って謝ろうとしてるのではなく、自分のこの何に対しても感じる罪悪感を消そうとして気持ちを押し付けようとしてるだけだと思うようになりました。 本当に相手を思うのなら、時と状況を見極めて、何の為に謝るのかを考え、相手のためになることをするべきだと思うのですが、普通なら気にしない小さな事でも、申し訳ないことをしたと思い、凄く罪悪感が出てきてしまいます。 特に、大きな失敗した時やメンタルが落ち込んでる時にこういう風になりやすいです。 どうしたら、必要以上の罪悪感を感じなく、小さな事に対して動じなくいられるような精神力を付け穏やかにいられるようになりますか?

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