友達の必要性
友達を持つべき理由は、寂しさを紛らわせる以外に必要性はありますか?
私は、ただの一人の友達もいません。
寂しいので友人を欲しいと思います。しかし、寂しいという理由以外に友達を持つ”必要性”というものが分かりません。
世間の固定観念として、友人は大切、友人を持つべき、という考えが絶対です。
しかし、よく考えてみると、世の中ほとんど全ての人が悪人で、愚かで卑しいロクでもない人間が普通です。
寂しさを紛らわせたいがために良くない人間と嫌々合わせながら付き合うというのは、空腹だからといって体に悪いジャンクフードを食べる、退屈を紛らわせるために麻薬を打つようなもので、避けるべきことなのではないだろうかと思うようになりました。
なにか私の考えに間違いがあれば訂正してください。
視野狭窄になって友人を持つ大事な必要性を見落としてるとしたら教えてください。ずっとこの問題に悩んでいます。
なんで友達が必要なんですか?良くない人間と我慢してまで付き合う理由ってなんですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
事実に向き合う
もっと力を抜いて素直になってはどうでしょう。
寂しいなら寂しいでいいじゃないですか。
友だちが必要かどうか?それはあなたにとって必要かどうかはあなたが決めればよいでしょう。
あなたは正当な理由があるならそれだけを選んでするのでしょうか。
美容にいいからという理由で毎日美容食品を食べますか?美容品を使いますか?
健康にいいからという理由で毎日健康食品だけを食べますか?
食べたいものを食べるでしょう?したいことをするでしょう?
考えの上での真実というのは、やったこともないのに宇宙飛行士とサッカー選手と弁護士と芸人のどれが一番よい仕事か考えて、どれか一つをこれが正しいと決めるようなものです。
それって全然真実じゃないでしょう?やってみないと分からないし、正しいとされたものと自分がやりたいかどうかはまた別でしょう。
その考え方で最後に行きつくのはこれですよ。
どうせ死ぬのになぜ生きるのか?生きる必要なし!
みたいなヤツです。一生懸命勉強しても仕事しても友達作っても結婚しても必ず死ぬから生きる必要もない!みたいな陳腐な考えです。
真実とは真理が事実となったものです。考えの上だけでなく、生活の現場、生きる現場、この愚かで醜い怠惰で自分勝手な存在である私の身と心の生きる場に事実して現れるものが真実です。
考えの上のものはどんなに崇高であろうと事実でも真実でもありません。
寂しいなら寂しい。それが事実です。どんなに友達の必要性のなさを論じようが寂しいという感覚が事実。
たとえ考えの上で友達の必要性が立証されようが、自分が求めれば友達ができるわけでもないというのが事実。
頭でっかちにならず、事実と向き合いましょう。
だって寂しいのでしょう?