お通夜の失敗
もう5年位になりますが、父の通夜で泣き叫んでしまいました。
自死だったこともあり悔しさから気持ちを抑えられませんでした。
今から思えば通夜は静かに過ごすという常識は知っていたはずなのにと恥ずかしくてしょうがありません。
お経をあげて頂いたご住職も亡くなり謝れなくなってしまいました。
何かアドバイスをいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「通夜は静かに過ごす」というマナーはありません
こんにちは。お悔やみを申し上げます。
お通夜で大泣きしたことは失敗ではないと思います。その時に我慢してしまったらもう泣く機会はないですから。むしろ泣くことができて良かったと思います。
「通夜は静かに過ごす」というマナーはありません。今はお医者さんにより臨終が確定しますが、大昔は、そのような確認方法がなかったわけで、本当に亡くなってしまったかどうか判断がつかなかったはずなのです。そこで、どんちゃん騒ぎをして本当に死んでしまったかどうかを確認する夜だったという話を聞いたことがあります。また、「泣き女」という習俗が世界各国にあります(日本にもあります又はありました)。これは、人を雇って大声で泣いてもらう習俗です。このように、むしろ泣き騒ぐ方が正しいお通夜の過ごし方かと思います。そのときのご住職にも失礼ではありません。
私も、通夜・お葬儀をおつとめいたしますが、いかにご遺族に泣いて頂けるかを考えています。泣いて頂ける演出をこころがけます。泣いて頂いたらそのお葬式は成功と思っています。泣くことが心の回復につながるからです。
※あとからご覧になる方のために念のため追記しておきます。
『「通夜は静かに過ごす」というマナーはありません』と書きましたが、通夜法要中にどんちゃんさわぎをして良いという事ではありません。法要中は静かにしましょう(泣くのはいいですよ)
それでいいんです
ご住職が泣くなとおっしゃったのでしょうか?「常識」という言葉を使っていらっしゃるので、そういうわけではないのかなと思いますが、きっとご住職は不快に感じてはいらっしゃなかったと思いますよ。私だったらお通夜で大声で泣いていらっしゃっても不快には思いません。もしご住職が泣くなとおっしゃっていても、そんなに強い禁止事項みたいなものではなかったのではないかなと思います。
2500年前、お釈迦さまが亡くなった時、あるお婆さんはお釈迦さまにすがりついて泣き叫びました。あるいは、あるお坊さんは失意のあまり卒倒しました。それで良いんです。無理して泣いちゃダメだ泣いちゃダメだとやらなくて良いんです。だってお釈迦さまが亡くなった時がそうだったのだから。
葬送の『常識』には死者の霊が黄泉がえらないように…みたいな発想から来ているものが少なくありません。それらは仏教ではなく俗信、モノによっては迷信の領域です。仏教学というより民俗学的なものと言えばイメージしやすいでしょうか。だってお釈迦さまが亡くなった時がそうだったのだから。
お気になさらず。泣きたければ自然に泣き、涙が出なければ自然に泣かずにいればいいんです。きっとご住職はもちろん、お父さまもきっとお通夜のことを気になさっていませんよ。
質問者からのお礼
気持ちが落ち着きました。
相談して良かったです。