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父親が前立線癌と大腸癌の末期です。

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今年の3月に前立腺癌になり、夏頃から体調が悪くなり、9月中頃から入退院を繰り返していました。
10月中頃、2度目の入院で大腸癌の末期でもあることがわかり、こちらの方が重症で病状が進んでいるようでした。
3~4日前から、眠ることが多くなり呼びかけにようやく目を開けるという感じです。話すことはできないかもしれません。
ところで父には、何年か前から絶縁状態の母親と兄弟がいます。
一人だけ、たまに行き来のある妹夫婦がいますが、その方を通じて父のことは知っていると思うのですが、母親や他の兄弟からお見舞いはもちろん電話もないそうです。ほぼ絶縁状態なので、当たり前といえばそれまでなのですが。
私の母は、連絡するべきか悩んでいます。父がまだ話せる頃に聞いたら、自分の母親や兄弟は誰も来なくていいと言っていたそうです。
本心でしょうか。絶縁状態といっても、大したことがあったわけじゃないと母は言っています。
ただ母親が、父の兄弟の仲を悪くさせてる原因かなという感じです。
兄弟が多く、男3人、女4人います。あっちでこう言い、こっちでああ言いの世界です。そうしているうちに父が悪者になったのかもしれません。
私からみても、祖母は心の豊かな人とは思われません。でも父にすればたった一人の母親です。会いたくないでしょうか、、
付け加えると、父自身も短気で私たち家族もずいぶん辛い思いをしました。特に母は父に振り回された人生だったじゃないでしょうか。
でも今は、家族みんな父がかわいそうでたまりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはあなたの関わり 親族は親族の関わり方

家族という言葉を一度忘れてみましょう。
実質面で、今、そのような人間関係になってしまっている。
家族であるが故に、
家族だからこそ、
家族だったらせめて、
家族だから仕方ない、
家族なのにもかかわらず、
家族という言葉を超えて、
何処までいっても人間は一対一なのです。
あなたはあなたとお父さんとの関わりを最高に家族的にしてください。
他の方はお父さんと家族的になれなかったのかもしれません。
それでも、今から間に合う事があります。
❝家族的に❞なってもらうべく、あなたが働きかけることです。
危篤状態にある事を知っているのはあなただけなのですから。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

連絡しましょう

来る来ないは本人の意志に任せ、連絡はしておきましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
私には兄と姉がいます。兄は、連絡しないと言っています。もしもの時は、一人の妹夫婦にだけ知らせる。後からなぜ教えなかったなどと言われたら、俺が言ってやるから母には心配するなと。
姉も、今まで行き来しないで、父がいなくなった後で母があちらの親兄弟と付き合うことになるのも嫌だろうといいます。
兄と姉に、私はこう思うと言う自信もありません。母に言っても混乱するだけだろうから。

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