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運命には逆らえないのでしょうか?

回答数回答 7
有り難し有り難し 171

いつもQ&A拝見させて頂いています。「なるほど」と思う事が多くとても参考になっています。

ところで、「運命」って存在するものでしょうか? 「運命」だからって言葉を使いますし、自分に言い聞かせる時も「運命」のせいにする事って結構多い気がします。
人生において、原因がありそして結果が付いてきます。結局因果そのものが運命かな?って思う事が度々あります。
悲惨な事故や事件を見ると、悪人だから遭遇したと言える人は少ないと思います。この日この時この場所に居なければ遭遇しなかったはずです。しかし残念ながら遭遇してしまった。「運が悪かった」では済まないと考えます。結局、生きている以上常に物事や行動を選択し原因を作り、何らかの結果が出て、「運命」と諦め落ち込んだり「運命」に感謝し喜んだりして。
支離滅裂になってしまいましたが、ご住職の方々が考える「運命」とはどのようなものでしょうか?逆らえる事は出来るのでしょうか?
私自身は抵抗する元気もないので、万事を受け止め現世に生がある限り前に行くしかないと思っています。辛くきついですが、これが「運命」なら仕方ありませんから。

2013年10月12日 17:37

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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この世に運命はない。事実、出来事だけがある。

運命論はたんなる世俗の思想にすぎません。
何でもかんでも「運命」という便利な言葉で締めくくるというだけのテキトー論です。
物事を短絡的に考え、まとめ上げるだけです。
猫として生まれた、カラスとして生まれた、転んだ、怪我した、これも運命。
朝食はサンマだったのも「運命」、昼がコンビニ弁当なのも「運命」、夜は刺身でこりゃ「うんめえ」。
何でもかんでも「運命である」でまとめてしまえば元も子もありません。
ですが世間では、そういう考えがウケる。ウケるとは何か。ウケ入れられやすい、分かりやすい、面白いということであって真実ではありません。
検索件数、視聴率が多いイコール真実ではありません。
真実は、別のことろにあまり知られずして存在するものです。

さて、このたびのご相談ですが、あなたの言われるところの運命を、すべて「ひとつの出来事」「一過程」「一経験」と置き換えて再度お考え直しをお願い申し上げます。あなたの言われるところの「運命」にはどことなく終局的結果、これでおしまい、デッドエンド的な響きを含んでおられます。
「ああ、おしまいだ」「ああ、無情だ、かなしい、せつない」
そのままでは精神衛生上、あなたのために良くありません。
心の回復のためにも以下を何度もよく読み返してださい。
○人間は、物事に終局、終焉、おしまい、というラベルを貼り付けると、心が停滞してしまう。

○川の終局は滝ではありません。滝は流れ落ちますが、海をめざし、雲へと昇華するものです。

○あなたのお悩みは、ここでは公開されるべきものではなかったかもしれませんが、どうか、その出来事で終わりなんだ、と決めつけずに「これは海を目指す、一つ目の滝」「海にたどり着くためにもっと大きな川へ合流している状態」とお考えいただき、明るい未来へのもう一歩を踏み出してください。

○どんな過酷な事実でも、受け入れると受け入れざるとに関わらず、すでにそこで起こって、そこでもう終わり果てている。

○そうか、もう、あれは、あの時点で、事実と時の刻みと苦しみともに、もう終わったのだ。

○終わったということは、次の新しいことの始まりだ。
さあ、もう川は、流れだしました。

2013年10月21日 21:58
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

はこぶ、はこばれる

きよまささん、こんにちは。

「運命」と「宿命」。
「宿命」・・・地球の、この時代の、日本の、熊本県に宿された命・・とみることができるでしょうか。
「運命」・・・こうしてhasunohaに質問なさる命・・とみることができるでしょうか。

わたしたち自身、自分の命を運んでいるか。流れに運ばれているか。
・・見方によって変わるようです。
きよまささんも、”万事を受け止め”つつも、”現世に生がある限り前に行くしかないと思っています”とのこと。見方によって変わる、両方ですね。

向かい風を利用して飛ぶ鳥となるか。風をきらい枝をはなれない鳥となるか。
どちらも危険はつきまといます。
でも、風に身をまかせないと空を飛べないように、私たち人間もある程度まかせないと生きていけないでしょう。
わたくしごとですが以前、パラグライダーを経験したとき。鳥になったような気がしました。風になったような気がしました。
ただし・・・風を利用しようとすると、うまくいきません。運命を運命とも思わず。宿命を宿命とも思わず。生きるのみと思っています。

・・・「運命」は、その材料にすぎません。

2013年10月14日 9:48
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おきもち

「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

縁(条件)が大事!

きよまささん、こんにちは。

「運命」には逆らえないかとのことですが。

お釈迦さまが『出曜経(しゅつようきょう)』で、「(運命とか神さまとかではなく)自分の意思で人生を歩んでいきたい」とおっしゃったのと聞いたことがあります。

「因縁」というのは、原因(因)と結果(果)だけではなく、条件(縁)がそろってはじめて結果(果)がしょうじるというものです。

どんな原因(因)があろうとも
(たとえ孤児であろうとも)

条件(縁)がそろえば、末は博士(大学教授)か大臣(総理大臣)か。

ただ原因(因)が悪いだけでは、結果(果)として悪人にはならないものです。

また仏教では「善因楽果 悪因苦果」という言葉があります。
「善い」ことをすると心が「楽」になり、「悪い」ことをすると心が「苦しく」なるのです。
本人が良くても、周りの人間の記憶には残ります。
嫌なことをされた人は、忘れていないものです。
そうしていろいろな人から見放された人は、はたして幸せになることができるのでしょうか。

「運命」ではなく、「人柄」だけではなく、その人のすべての「善行」がそのひとのその後に影響を与えていくのではないでしょうか。

2013年10月12日 22:03
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平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...

お釈迦様が仏教を創造した理由

 お釈迦様がなぜ、仏教を創造されたか、それはカースト制度からの解放である。当時、インドはバラモン教の下、カースト制度で人間が分けられておりました。お釈迦様はそのカースト制度で苦しんでいる人々を救いたいがために仏教を興した。六道輪廻はもともとはカースト制度であり、そこから解脱(解放)するにはどうしても新興宗教を創り、人々を自由にするしか無かった。
 「生また所や皮膚や目の色で一体この僕の何が分かるというのだろう♫」私の若いころ中学生のころでしたか流行ったブルーハーツの『青空』という曲です。この歌にもあるように人間は生まれたときに運命が決まるのではなく、生きてく中で決められるものである。そうでなくてはならない。根本的に仏教は運命を否定する宗教であると言っても過言ではないのである。良い悪いも後々解ることで今この瞬間では判断できない。
 それでも、どうしようもなく困っている人々もいる。そこは皆で救える環境を整えていくことが重要になります。「金のある人は金を出せ。力のある人は力を出せ。何もない人は元気を出せ。」これは東日本大震災の時にあるラジオのコメンテイターが言った言葉です。難しく考えると色々考えてしまいますが、自分に今何が出来るかが大切なのです。「一二三四」が大切なのです。

2013年10月18日 2:47
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おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

運命論・宿命論・決定論は仏教の「中道」に反する考え方

きよまさ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

運命論は、別名で宿命論、決定論とも同意と考えることができます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/宿命論
http://ja.wikipedia.org/wiki/決定論

既に増田様、釈理薫様もおっしゃられているように、私たちの世界は因縁果の流れにて成り立ってございます。

http://hasunoha.jp/questions/235

但し、上記問いの拙回答内容のように、その因縁果の複雑な無数の流れを完全に知ることなど私たち凡夫には到底不可能なことであります。ただ、この因縁果の理を考えることは、あらゆるモノ・コトには実体が無いという「空」を考える上において非常に大切なことになります。

さて、運命論に関しては、これまで下記問い拙回答内にて少しく扱わせて頂いております。

http://hasunoha.jp/questions/93

結論から申しますと、運命・宿命・決定論は、常見・断見のいずれにも陥る危険性が高くあり、「中道」を説く仏教からは、当然に退けるべき考え方となります。

例えば、これまでの、またこれからの輪廻の中でも味わうであろう苦悩の数々・・それも運命・宿命・決定付けられていることだと言って諦めてしまうのであれば、これからも何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。これは一つの虚無・悲観主義に陥り、仏教において退けるべき極端な考え方、断見となります。

この輪廻の苦海の中にいる限り、色々な苦しみは、早晩、大小関係なく、様々に幾度と無く経験することとなります。天災や戦災、不慮の事故などによる死(怨憎会苦・死苦)もただその苦しみのほんの一端のことでしかありません。

とにかく、これからの善い結果、善い趣きを望むのであれば、やはり、悪い行いは慎み、善い行いに励み努めていくことが必要であり、いつまでもこのような境涯に生じて苦しみ続ける輪廻の根本を断つために、悟り・涅槃へ至るための仏道を歩むことが望まれることになります。

是非共に頑張ってこの輪廻からの解脱を目指して参りましょう。

川口英俊 合掌

2013年10月13日 14:36
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

既にちゃんと逆らっています

原因があって結果がある、これが大前提です。そしてどんな状況であっても最善のものを選んでいくというのが仏教の考えで、私自身もそう思います。

他の世界宗教と仏教が大きく違うのは「修行」と「実践」がある点です。例え事故や事件に巻き込まれてもその中に光明を見出そうとしていくのですから、他宗教から見れば運命に逆らっているのかもしれません。

運命に逆らうというと大袈裟ですが、運命を努力を放棄する為の言い訳にしない、ということでよろしいでしょうか。きよまささんが「辛くきついけど、生ある限り前に行こうと思われてる」、そのこと自体が既に、修行と実践です。立派な事だと思いますよ。今の行動という原因が、必ず良い結果を生むはずです。

2013年10月12日 21:16
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おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

さからってみてください。

きよまさ様へ

釈様がおっしゃるように
私も運命はご縁であると思っています。
ぜひその運命、ご縁にさからってください。
その次には違うご縁がつながっていることだと思います。

文章の中で
「私自身は抵抗する元気もないので、万事を受け止め現世に生がある限り前に行くしかないと思っています。」
その気持ちが大切です。
このことを続けていればきっと素晴らしいご縁が待っていることでしょう。合掌

2013年10月16日 13:42
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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...

質問者からのお礼

御住職の方々のアドバイス本当に有難うございます。頭では分かっているのに、自分の気持ちをコントロールすることがいかに難しいか、自分の度量の低さをつくづく感じます。まだまだ御相談したいことあります。又宜しくお願いします。

いつも有難う御座います。質問はこれで2回目でした。かなり悲観的な質問で、暗い思いをさせて失礼しました。1回目(後悔の念・・・)2回目(運命に・・・)共に、気持ちの整理がつく期待した回答に感謝しています。後日あと1回質問をさせて頂く予定ですので、その節も宜しくお願い致します。益々の活躍を祈念しております。

「運・運命」問答一覧

運命だったのか

こんにちは。 いつもお坊さんからの素敵な助言や、 考えを拝見させていただいております。 一つ質問させていただきたいのですが、 お坊さんは、避けられない運命というものは存在すると思いますか? 私の体験なのですか、ちょうど一年前 何をやっても上手くいかず前に進めないということがありました。(仕事に関してのことです。) 最悪の事態を避けようと様々な手を打ったもののすべて裏目に出てしまい職を失いました。 私が苦しんでいるのを見て面白く思っている同僚や、先輩も多くいると知り、夜眠れなくなり、何故自分だけという思いから前向きな考えや、未来に期待することにも疲れていました。 このような出来事は起こるべくして起こっているのですか? それともたまたま、私であったのですか? 神様は超えられる試練しか与えないと聞きますが、あまりにも辛く私は諦めて逃げ出してしまいました。(逃げたてしまったことは、とても後悔しています。) また、そこから何か新しいことに挑戦することも怖くなりました。 あの経験は必然であったのか、それとも 偶然であったのか、今でも毎朝考えてしまいます。 私がなぜ、自分だけと考えてしまうのが 間違っているのですか? しかし、私は自分なりに全力を 尽くしていたと自負しております、、、 もし、お返事頂けたらありがたいです。

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回答数回答 1

これは運命ですか?

こんな相談で申し訳ないのですが。 元彼と別れて一年が経ちました。 元彼は地元が同じく幼馴染のような関係で 一年ほどお付き合いしていました。 別れて一年も経ってしまえば、この気持ちも冷め 次に進めると思いました。 ですが、未だに彼の事が忘れられません。 (彼には新しい彼女がいるようですが…) 私は彼以上の人がいるとは思えないのです。 そう思う理由は 別れてから半年が経ち 気持ちを整理するために遠出しました。 海の見える公園でしたので 気持ちを整理するには 良い場所でした。 帰ろうとした時に前から歩いてくる人に見覚えがありました。 目が悪いのでよく見えなかったのですが すれ違う時にその人が彼だと気づきました。 その時私は驚きよりも怖いと感じました。 地元が同じなのになかなか会えない彼と 遠い場所で同じ日に会えるなんて 私には運命としか思えてなりません。 彼もこちらに気づいたのですが 顔面蒼白で嫌な顔をしていました。 彼の隣には新しい彼女がいました。 私達が別れる原因となった女性です。 彼はこの女の人と二股をしていました。 私は二股している事に気づきもしなかったです (とても愛されていると思える日々でしたので) 日を追うごとに二股をしている事が あからさまになり私が気づき 彼に振られました。 そして今に至るわけです。 彼と復縁したいです。 私があの時に彼に会えたのは 運命ではなく単なる偶然なのでしょうか。 つたない文章で恐縮ですが、ぜひご拝読ください。 私の気持ちが恋や愛ではなく 執着という事はわかっています。

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回答数回答 1

無くすのも運命ですか?

親から貰った母子手帳を無くしたことに気づきました。 心当たりがあるのは数年前に大掃除したことです。 断捨離を決めて必要なものや不必要なものを分ける際に必ずチェックしてから捨てるようにしていたので母子手帳を捨てるということは決してしてません。 見つけたらすぐに大切な場所に保管してたのですが、恐らくその時も見つからなかったと思います。だいたいあの辺りにあるはずと思ってました。 どこかのケースの中にあるだろうと思い込んで数年探すことをしませんでした。 部屋も物が少なくなりましたが、再び断捨離をする際に隅々まで調べ尽くしたのですが母子手帳が見つかりません。 病気は幼い頃に一通りして、生まれた体重も親から教えられているのですが、生まれた正確な時刻や成長記などもう見ることができないと思うと辛いです。 気づかないまま捨ててしまったのか これは私にとって不要なものだったのか 何度探しても見つかりません。 今まで無くても平気だったものが探してもないと分かったときに固執してしまうのは欲でしょうか? 母子手帳はいつまで持っていたらいいのでしょうか? 捨ててないはず、と思う限り諦めることができず、無いことを受け入れられません 断捨離しなければよかった、と思う反面 断捨離しなければいけなかったとも思ってます。 後悔してるけど、でもそうするしかなかった場合、どのような心持ちで乗り越えたらいいですか? それとも母子手帳って幼い子の間だけが必要で成人した以降はそこまで重要ではありませんか? 調べたら母子手帳紛失は新米ママさんの相談が多くて、成人した以降の大人が自分の母子手帳を紛失して困っているというのを見ません。 再発行も新米ママさん方用で、さすがに成人した以降の人の分まで記録は残してませんよね 身の半分を削られた思いは大袈裟ですか? 小さい頃の写真は置いていたので、捨てなくて良かったと思ってます。 でも、いつかは捨てるのだろうなと思ってます。 物を失うのも運命ですかね? 確認して分別してたのに、断捨離始めた当時に戻りたいです

有り難し有り難し 31
回答数回答 2

こんなに運がつかない事ってあるのでしょうか。

こんばんは。 今回こちらでご質問させて頂くのは2度目になります。以前の質問でたくさんの方に励ましのお言葉を頂き、それ以降自分自身を変えるために行動してきました。 ただ、本当に運がつかないんです。これでもかっていうぐらい嫌なことが起き続けています。特に、友達に裏切られ、しかもその裏切った友達にいい事ばかり起こり続けていることに対して本当に悔しい思いをしています。もちろん、そういった気持ちになった時に、自分は不幸だと思うのはダメだ!と言い聞かせて、自分にとって良かったことなどを思い返すようにしました。直近で言えば、実家が近畿圏にも関わらず、ついこの間の台風の影響を少し受けましたが、家族全員無事だった事などです。それだけでも運が良かったと思うべきなのに、そういう嫉妬心などが出てしまう自分がいるのも事実です。 その友達とは、お互い同じような目標を持っていたので、それに向かって切磋琢磨しながら今まで一緒に頑張ってきたという事もあって、その友達だけがうまく物事が行き(本当に何故そんなに運がいいのと驚くぐらいです)、その上僕達の友情に傷をつけるような事もし、結果的に、苦しんでるのは僕という現実にどうしても納得できません。 なぜ、このような両極端な運勢になってしまったのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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