hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分自信に失望して、立ち上がれません。

えび男性/30代
回答数回答 3
有り難し有り難し 28

どうぞよろしくお願いします。
文章の不味さはどうかご容赦ください。

私は、私という人間に失望しています。

私には思い描いていた人生がありました。
何か事業を立ち上げ、成功して儲けているというものです。
...はい、何も中身が無いんです。
そのことに気づくのに10年かかりました。

頂いた仕事をこなしながらずっと準備体操を続けてきた私は
ある時、これはいけるかもしれない!というものを見つけました。
ですが、結果が出ることなく全財産を使い果たして失敗に終わりました。

それだけならよくある失敗談ですが、私が苦しいのは、
必死で取り組んだのかと聞かれればNOだという事実です。

成功をおさめるための行動を出来ないヤツが、
成功する事だけを夢みている。
そんな事実に気づいてしまいました。

夢も、アイデアも、お金も、自信もありません。
この先何も成し遂げられないまま、残り数十年の人生を過ごすことに
堪らなく恐怖を感じてしまいます。

どうすればそんな自分を受け入れられるのか、
あるいは変えられるのか、

何かお言葉を頂けると幸いです。
ありがとうございました。

えび男性/30代
質問数:
1
この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夢から覚めた

こんばんわ。始めた、あるいは始めようとした事業がうまく行かなかった。内容も何も存じませんが、残念なことでございます。ただ恐らく、「その時のあなたにとって、トータルで」…ここまででいいだろう、という判断も含めて…精一杯されたのではないですか?
そのお陰で、夢から覚めたように気づきがあった・思い知ったのではないかと思います。
今は世の中どこを見ても「夢を持て、夢を持て」と囃し立てられます。あたかも「現実は見ないでね」という陰謀ではないかと思うほどです。これ、格差社会への不満を紛らすためではないか、と私は勘ぐっています。
ご存知かと思いますが、仏教の世の中の見方は、基本「この世には苦があるよ。苦とは、思い通りにならないことだよ」というものです。それを身を以て体験した。誰かに言われたのではなく。そう、「存じている」のと「体験した」は、まるきり違うことなのです。
その意味で、「生きていく」ことにおいて、一歩進んだということだと思います。
実はこれ、「必死で取り組めば必ず成功する、訳でもない」まで含んでいるのです。ではどうするか?
目指すところを変えなさい、ゴール設定が間違っているのだよ、ということではないでしょうか。
男子ですから「何事かを成し遂げ、名を残す」ことに魅力を感じるのは分かります。それを捨てられないなら、せめて道中を「足るを知る」で過ごせるとよろしいと思うのですが。いつ果たせるか定かでないゴールに目をやるのも結構です(やめられないでしょう?)が、その足元いかがですかと。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

金から一度自由になれた 自分の夢の縛りから自由になれた

あなたはまだ持っている。
一旦本当に手放した方がいいです。
そうすればアキラメがつきます。
まだ、持っているものを自分で感じるでしょう。
それを捨ててごらんなさい。
絶対に強くなれます。
手放して、奮起するのです。
手放せば踏ん切りがついて奮起できるのです。
何もなくなればたまることしかありません。
失敗も獲得です。
失敗も授かりです。
あなたはそれを授かった。
もう失うものが無くなった。
失う事も授かりだということをここで授かった。
だからもう、これからは授かることしかなくなった。(7回は読み直してください)

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談  0429415940
毎週日曜午後三時から坐禅法話会 費用:任意にて500円~の志納 お悩み相談 0429415940(無料)お気持ちで浄財志納歓迎 月火水木金土日 8:00~21:00

人生をやり直し

新しい自分になるのがよいでしょう。地道に目立たず静かに生きる。
実力もなにもない者が生き抜く術は
それしかないのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

煩悩スッキリコラムまとめ