自分自信に失望して、立ち上がれません。
どうぞよろしくお願いします。
文章の不味さはどうかご容赦ください。
私は、私という人間に失望しています。
私には思い描いていた人生がありました。
何か事業を立ち上げ、成功して儲けているというものです。
...はい、何も中身が無いんです。
そのことに気づくのに10年かかりました。
頂いた仕事をこなしながらずっと準備体操を続けてきた私は
ある時、これはいけるかもしれない!というものを見つけました。
ですが、結果が出ることなく全財産を使い果たして失敗に終わりました。
それだけならよくある失敗談ですが、私が苦しいのは、
必死で取り組んだのかと聞かれればNOだという事実です。
成功をおさめるための行動を出来ないヤツが、
成功する事だけを夢みている。
そんな事実に気づいてしまいました。
夢も、アイデアも、お金も、自信もありません。
この先何も成し遂げられないまま、残り数十年の人生を過ごすことに
堪らなく恐怖を感じてしまいます。
どうすればそんな自分を受け入れられるのか、
あるいは変えられるのか、
何かお言葉を頂けると幸いです。
ありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
夢から覚めた
こんばんわ。始めた、あるいは始めようとした事業がうまく行かなかった。内容も何も存じませんが、残念なことでございます。ただ恐らく、「その時のあなたにとって、トータルで」…ここまででいいだろう、という判断も含めて…精一杯されたのではないですか?
そのお陰で、夢から覚めたように気づきがあった・思い知ったのではないかと思います。
今は世の中どこを見ても「夢を持て、夢を持て」と囃し立てられます。あたかも「現実は見ないでね」という陰謀ではないかと思うほどです。これ、格差社会への不満を紛らすためではないか、と私は勘ぐっています。
ご存知かと思いますが、仏教の世の中の見方は、基本「この世には苦があるよ。苦とは、思い通りにならないことだよ」というものです。それを身を以て体験した。誰かに言われたのではなく。そう、「存じている」のと「体験した」は、まるきり違うことなのです。
その意味で、「生きていく」ことにおいて、一歩進んだということだと思います。
実はこれ、「必死で取り組めば必ず成功する、訳でもない」まで含んでいるのです。ではどうするか?
目指すところを変えなさい、ゴール設定が間違っているのだよ、ということではないでしょうか。
男子ですから「何事かを成し遂げ、名を残す」ことに魅力を感じるのは分かります。それを捨てられないなら、せめて道中を「足るを知る」で過ごせるとよろしいと思うのですが。いつ果たせるか定かでないゴールに目をやるのも結構です(やめられないでしょう?)が、その足元いかがですかと。
金から一度自由になれた 自分の夢の縛りから自由になれた
あなたはまだ持っている。
一旦本当に手放した方がいいです。
そうすればアキラメがつきます。
まだ、持っているものを自分で感じるでしょう。
それを捨ててごらんなさい。
絶対に強くなれます。
手放して、奮起するのです。
手放せば踏ん切りがついて奮起できるのです。
何もなくなればたまることしかありません。
失敗も獲得です。
失敗も授かりです。
あなたはそれを授かった。
もう失うものが無くなった。
失う事も授かりだということをここで授かった。
だからもう、これからは授かることしかなくなった。(7回は読み直してください)