妻を亡くして79日目
初めて質問させていただきます。
昨年11月、突然のくも膜下出血により妻が亡くなりました。
出会って5年。結婚生活は僅か2年と10か月。
夜、自分が仕事から帰ってきたらリビングで倒れていました。
取り乱し、救急車を呼んで必死に妻の名を叫んでいました。
妻は既に心肺が停止しており
病院に運ばれることもなく、別れの言葉も交わせず、妻は亡くなりました。
葬儀は終えました。拭えない悲しみとは別に、問題に直面しています。
それは妻の御両親との関係です。
妻は生前、決して健康体ではない両親を誰よりも心配していました。
自分も一緒に顔を出し、付き合いを深めていました。
そうした中、亡くなる半年前、些細な誤解から妻が僕の浮気を疑い、ケンカになる出来事がありました。
全くの誤解だったのですが、妻は激しく怒りました。
その時、自分の母親に相談していたようです。おそらく離婚まで視野に入れて。
誤解はしばらくして解けたのですが、御両親には解決を伝えていなかったようです。
その問題が、納骨の際に表面化してしまいました。
自分は長男です。何が正しいかを思い、少し遠いですが、御先祖様のお墓に遺骨を納めるのはどうかと考えました。
その考えを妻の御両親に伝えたのですが、悲しまれてしまいました。
まるで我が子を遠い場所に放り出されたような気持ちだと。
自分は御両親が悲しむことだけはしたくなかったので、その考えは改めますと伝えました。
それでも、あなたは浮気をしてるでしょう、と。今でもそれが続いているのでしょう、と。
娘が不憫でならないから、お骨を返してくれ、縁を切ってくれと言われ。
誤解だとは伝えました。どんな手段で僕を調べ上げてもらっても構わないと。
しかし、四十九日法要に御両親は出席して頂けませんでした。
現在、妻の遺骨は近場の預かり供養して頂けるお寺様で、有難く供養させていただいてます。
けれど、妻の御両親には会うことができません。
これからは自分が妻に成り代わり大事にしていく、それが何よりの供養だと思っていたのに。。
今、妻の御両親は悲しんでいるだろうと思うと、消えたくなるような気持ちになります。
妻のために用意した御仏壇に毎日手を合わせて、自分なりに供養をしていますが、迷います。
自分は正しいんだと思う気持ちと、何もしてやれてないと思う気持ちが混在して、悶々とする日々です。
悲しみ、執着をしてしまう。 感情の抑制が効かなくなると、時に怒りとなって表れます。 虚しさにとらわれ、前向きに心が進みません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
妻の供養をして幸せになりましょう。
冬馬さん、こんにちは。
妻に早世されたのですね。お悔やみ申し上げます。
義親も余りにも早い娘の死に、その悲しみの矛先をあなたに向けているのでしょう。それは仕方がないので、そのままにしておけば良いでしょう。いつかわかってくれる時が来ます。
お墓は遠方のため、納骨しないのですね。一周忌を持ってが良いでしょうから、もし傍においておきたいのであれば分骨して仏壇に持っていても良いでしょう。あるいは実家から返骨を求められたら、三分骨にしておいて、自分の妻だから妻の供養をするために私はお骨をもらいます。といって、三分の一を、妻実家に渡せば良いでしょう。妻親と縁を切られても余りどうようせず、それを受けれてください。
夫婦の絆は、あなたしか知らないのです。あなたが愛していたのであれば妻は霊界で喜んでいると思います。そして7回忌も過ぎれば心もまわりも落ち着きます。まだまだ冬馬さんも若いので再婚の道もあると思います。
人生の苦しみは突然に起こります。それを冷静に受け止めて、これからの人生を歩んでください。がんばって!応援しています。苦しければいつでもご相談連絡を!合掌
質問者からのお礼
染川智勇様、暖かい回答を有り難うございます。
救われる気持ちです・・
妻への愛、絆は、今更になってより深まっているように感じるのです。
こんなにも涙が出るものだと。どうしてもっと伝えてあげられなかったのかと。
今、妻があちらで喜んでくれていることが全ての願いです。
本当に有り難うございます。
御両親の悲しみの矛先が自分に向くのは、仕方のないことですよね。
時間が必要だと、頭ではわかっているのですが・・
誤解が解けてほしい、理解してほしいと思う気持ちと、
妻が大切にしていたものを大切にしてやれない、やりきれなさ。
自分にも、落ち着くまでの時間が必要だと、気付くことができました。
今はただ、一心不乱に供養に励みたいと思います。