hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

助けになること(ぼきん)がしたいです。

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

いつもお世話になっております。
なにかで、恩を返したいと考えているのですが
考えてもみつかりません。

障がい年金の半分の金額を、
病気で困っている方へ、ぼきんしようと考えています。
年金科へ、返金をしたいと問い合わせしましたが、
返金しないでくださいと言われました。
学習障害なので、活字脱字、
読みにくい部分があり申し訳ないです。

闘病中で、物欲がありません。
貧乏症なので、物を長持ちするように大切に使用しています。
めったに、生活品以外を購入することはありません。

家には家電製品はありませんが、幸せです。
(レンジ・炊飯器・洗濯機・冷蔵庫・電気・携帯電話など)
カウンセラーには、反対されました…
家電製品がない世界で暮らすのが
慣れると、物なんて必要ないと感じはじめます。
物の溢れる世界での、修行だと思っているのですが…。
お坊さんの意見が訊きたいです。

どう思われますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

施食をしましょう

他人に何かしようとすると、障がい年金の返金を断られたり、いろいろ難しいものです。他人にも事情がありますから仕方がありません。もっと簡単なことをしましょう。自然界にぼきんをすればいいのです。

ほのこさんは毎日ご飯を食べますね。そのご飯を数粒だけ取って、外のアリや鳥が食べやすそうな所に置いて、分けてあげましょう。ご飯を半分こでは多すぎます。お寺ではご飯なら七粒以内と決まっています。一人、一食につき七粒まででちょうどいいそうです。

もしお住まいが町中で、外にご飯を置いたらいけない場所でしたら、お米ではなく、少しのお水を木や草の根元に垂らしてあげてください。

これが自然へのぼきんのしかたです。

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

善行を積んでいながらも恵まれない方々に寄付を

私は坊さんですが、時々寄付、布施をしています。
本当にいい活動をしている人に、活動資金として、です。
できれば、本当にいい仕事をしている所に寄付をしてください。
あなたが誰に、何に寄付したいか。
子供たちか、海外の人たちか、医療か、福祉か、教育か、宗教か。
大手の基金はお金の行方が不透明です。
お金をこのように使いましたよ、このように使いますよ、という形で明確にできる所に寄付をすべきです。
そうでない所は、募金名義で着服しています。(本当怪しい処は沢山あるから要注意)。
ちなみにこのhasunohaは経済的に乏しい中で本部の方々が運営されています。
私どもも無償で回答しています。
日本が優しくなる為に活動しています。
寄付に賛同して頂けるようでしたら、本部の方にメール等でお話をしてみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

大慈様

ご回答ありがとうございます。

深い考えですね。
思いつきませんでしたが、
以前、おばあちゃんが、スズメにご飯をあげているのを
幼いころに見た記憶があります。
今、やっとその意味を理解することができました。
大慈様 感謝申し上げます。

「自然に恩返しをする」
おばあちゃんもお花も好きで、道に生えている野花や草や木に、
毎日毎日、水をかけをしていました。
大慈様がおっしゃったことや、おばあちゃんのしていたことを
マネして、今日から毎日続けたいと思います。

それと、昨日、募金団体の方に電話して、
動物たちに募金することになりました。
食べ物を贈るのでお金ではありません。

生きとし生けるもの全てに感謝。
いろんなことや日々に、感謝。
いつか国に恩返しをしたいです。

丹下 覚元(たんげ かくげん)様

直接渡せる場所で、しっかりと内容がわかるぼきん活動です。
食糧や物資でぼきんという感じでしています。
そこでは、管理もちゃんとしている方がいるので信頼してぼきんができます。
どこと言えませんが、安心できる場所です。
詳細をしっかりと書いていなくて、ご心配おかけしてしまい申し訳ないです。

hasunohaの経営しているサイトにも募金をしたほうがいいのですね・・・。
お世話になっておきながらも・・・知りませんでした。
生活費をより切り詰めて、ぼきんができるように検討してみます。
いつもありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ