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性格を直したいです。

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有り難し有り難し 24

はじめまして。
私は専業主婦で3歳と1歳の子供の子育てをしています。
周りから見れば普通の家庭だと思いますが、毎日毎日私は考えごとをしてしまい1人意味なく苦しんでいます。

何を考えてるかというと子供のこと、義家族のことが主にです。子供のことは子育てしているので色々悩んだりしていても普通だと思うのですが、義家族のことをなぜか色々考えてしまいます。
その原因として月に数回訪問していてその時に嫌なことを言われたりすると1人悶々と考えてしまいます。聞き流せばいいのに聞き流せない。行かなければいいのに行っている。本当自分から嫌なものに突っ込んで自業自得です…
中々断れない性格で、言い返したりもできず
変に真面目です。真面目な性格のため、人付き合いがうまくいきません。今までなんで人付き合いうまくいかないのかな?と思うばかりでしたが、私の性格のせいではないかと思うようになりました。
私は長男の嫁ですが、全然何もできずしようとしても姑がこわくてオロオロするだけ…だめな嫁です。
旦那さんは一生懸命働いてくれてかわいい子供もいて幸せなはずなのに、毎日不安で悩んだり悲しんだりしてしまう毎日を過ごしています。
こんな毎日なんて嫌だし明るく楽しく過ごしたいです。性格を変えたいです…でもどうしたらいいのかわかりません。
よろしければ何でもいいのでアドバイスしていただけたらなと思い相談しました。
こんな私を助けてください…


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今月から行かなくする

その性格を活用して、私の期待を裏切らないように約束してください。
あなたを苦しめる人より、あなたを助けてくれる人を優先してください。
せっかく回答してくれている人を優先してください。
…ということで、私と約束をしてください。
今回は絶対に行かない、と。
そして、その流れからの義理の家族との精神的分離手術を行います。
「ああ、あわわ、言ったらどうせいじめられたり、毒づかれて苦しむのはこっちだけなのに❝いい顔❞しておかないと…あわわ。」
禁断症状が生じた時があなたの変革期です。
その無駄に人の顔色をうかがったり無駄に苦しむ癖を無くしましょう。
思い切っていくのをやめましょう。
半年義理の家族断食をしてください。たまーにくらいの方がイイ人に感じるものです。
それでも行きたくなったら電話ください。
自分の性格は活用することです。
性格にはもともと良い悪いはありません。
引っ込み思案な人はその慎重性を活用する。
怒りっぽい人はその性格を何かを成し遂げる時のエネルギーに。
性格なんて言うものは元々ないと心得ることです。
自分がこうだ、こういう性格だ、と思うからその心自体に自分が行動範囲を狭められているだけですぢゃ。( ˘ω˘ )

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お礼のコメントが遅れてすいません。
言って下さった半年ができず、でも少しいくのを減らしました。
そしたら言われたように少し前よりいい人かなと思えました。
また行事等で、家族断食できずうまくいかなくなりました。なのでまた家族断食しようと思います。
約束を破ってしまいすいません。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ