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龍樹と唯識

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唯識にも色々な学派が有りますが、その中でも龍樹~ツォンカパ論師を系譜とした中観派と矛盾せずに
統合する事が可能な唯識の学派は何でしょうか?

2015年12月3日 19:35

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大中観と転法輪における了義未了義の問題

ツォンカパ大師は、唯識派における三性説の解釈の誤りなどについても厳しく批判されておられましたことから、最終的に中観帰謬論証派の立場としては、唯識各派との統合はあり得ないと考えるのが妥当であるのではないかと存じております。

三性説の見解にしても、空における見解にしても、一切の実体・自性・自相としての成立を認めないのが、やはり中観帰謬論証派の立場となります。

もちろん、世俗のレベルでの自相を認める立場であった中観自立論証派が、唯識派と接近して、瑜伽行中観派として形成されたこともありましたが、結局は帰謬論証派による批判には耐えられないものとして、大勢を占めるまでには至りませんでした。

ただ、問題は、空に関する理解において、中観帰謬論証派の中における「自性空説」と「他空説」という二大分派があり、前者は中観の正統派の流れとして、その後も主要な立場(ゲルク派)となるのですが、後者が、唯識思想、如来蔵・仏性思想と結びついて、実は、まさに中観思想と唯識思想との統合を図っての「大中観」というものを形成させようとしていったのであります。

そこで問題となるのが、典拠とする聖典の分類(了義、未了義の分類)となります。

ここは正直に申し上げますと、更には「密教」との兼ね合いもあり、かなりややこしい問題となって参ります。

更には、「大中観」と「如来蔵・仏性思想」と「密教」において、了義に分類される教典類が、かなり唯識思想とも接近してしまっているのであります・・

釈尊の転法輪を三つに分類した際に、第二法輪を般若・中観思想として、第三法輪を唯識・如来蔵思想として、第二を未了義、第三を了義と分類するならば、明らかに唯識・如来蔵思想の方が上の教えとなり、密教も第三法輪で説かれたものとして、そこに含まれてくるのでございます。

密教・金剛乗を最上の教えであるとするならば、必然的に、中観思想よりも、唯識・如来蔵思想の方が上の教えにもなってしまうのであります・・

そのあたりは、「解深密教」や「三昧王経」、「無尽慧所説経」、「聖陀羅尼自在王所門経」など、典拠とする教典の解釈に応じても分類の違いはあるのですが、拙生的には、了義と未了義の判断については、ツォンカパ大師による態度を支持させて頂きたいと存じております…ただ、それでも実はかなり難しいところもあるにはあるのですが…

川口英俊 合掌

2015年12月4日 22:34
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

識される前

悟りの眼から観れば、真実の側には学派、分別、ラベルの枝分かれが不要であるということを知っておかれることをお勧めいたします。
学派に枝分かれする前の、いま、ここ、現前の真実を取り扱っているのが仏法だからです。
それを文字化、概念化、分析したものが唯識であり、仏教哲学であり、文字の法は真実ではありません。
たとえば、あなたがいる所に何らかの音が響いていますでしょう。
そこでちょっと質問なのですが、
それは中観派の耳で持って聞くのでしょうか。
ツォンカパ論師の耳で聞くのでしょうか?
唯識の耳で聞くのでしょうか?
曹洞宗の響きでしょうか?
臨済宗の響きをなすものでしょうか?
答えは、伏せておきます。
眼も耳も学派の隔てを持つものではありません。
隔ててしまうものがあるとすればそれが人間の分別、学派。
真実の側は、学派とは別にただ、それがそこに、そのようにある。
統合されるべきものは学派ではなく、その事実の側、あらゆる学派の説によって扱われている仏法そのものの方なのです。
それが釈迦の悟りの眼なのです。
「あるもの」を人間の思考・思想でもって各自が観ようとすると、そこに観る派、観る人によって表記表現が異なる。それは分析智。
真実の側は人間の隔てなんぞ相手にしていません。誰が何と名づけようが、それはそれそのものなのです。

2015年12月4日 18:50
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

質問者からのお礼

皆様有難う御座います。
一応、質問に沿った回答をして下さった川口様にお礼のコメントを書かせて頂く事になりましたが、
丹下様の回答にも深い感銘を受けました…。
お礼のコメントがお一人様にしか書く事が出来無いのは誠に残念でありますが、
皆様のご厚意が込められた回答を頂く事が出来て、感謝感激の思いであります。

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

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どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

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天道は目標ではないのですか?

お世話になっております。 柴田秋です。 私は10年ほど前に自殺に失敗しました。 複数回の失敗の上、死ぬのは少なくとも生きることと同じくらいには面倒で疲れることだと感じたため、久しく実行には移していません。 それから、どう生きるのかと同じように、死について考えるようになりました。 死後の世界とかではなく、死ぬことで私の周囲に与える影響についてという意味です。 迷惑云々や、コストや、私の心とは関係なく死後に振り分けが行われるのであろうなということなどです。 こちらの質問の回答に対して、疑問が浮かび上がりました。 https://hasunoha.jp/questions/38774 余談ですが、今は少なくとも怒りは自覚していません。 「仏教は死んだらどうなるの教えではなく、生きているからどうするの教えです」 とあります。 多分、きっと心構えのことをおっしゃっているのだと思いますが、疑問が沸き起こってきます。 背景は語りましたが、それはあくまで単なる動機です。 私のことは私で考えるとして、他者のことは私には分かりません。 よろしければ、質問に応えていただきたいです。 仏教の最終的な目標は、悟り、無限に続く輪廻から脱し、六道のひとつである天道に行くことではないのですか? 仏は天道に在すもののことですよね? つまり、死後のことこそが目標なのではないですか? あくまで、そこに至るための過程として、どう生きるかが重要なのだと思っているのだと思いました。 つまり、生き方は手段で目的は死後の行き先であると。 なんとなく、キリスト教やイスラム教、パスタファリアニズムの天国を目指すのとは異なるのだとは思ってはおりましたが、疑問が起こりました。 仏教は天道を目指し、輪廻から脱すること、つまり解脱が目標ではないのですか? 絶対の正解を求めているわけではありませんので、ご自身の考えで構いません。 ※私の拠り所とする科学(科学的方法)にも絶対の正解はありません。  あれらは、今のところ否定されていないというだけです。 当然、ご回答なされた方以外の方には、天道へ行くことを目標とされている方もいるかも知れません。 それぞれのご回答を伺いたいです。 よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 18
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