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元彼への執着、嫉妬をなくしたいです。

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私には夏までお付き合いしていた年上の彼氏がいました。熱しやすく冷めやすい性格の方だったので、手に取るように冷められていくのがわかり、私は大好きでしたが話し合いの末にお別れしました。
しかしその後も会ったり、体の関係が続いており、私は復縁したい思いで一緒に過ごしていました。
しかし10月末に急に連絡が途絶え、私も諦めざるをえませんでした。しかし、ほぼ同時期に、元彼は元カノと付き合う、付き合わないの話になっていたらしく、結局その後、付き合いました。
私と元彼と元カノは同じ職場なので、とても辛いし、何も知らずに信じていた自分が悲しくなります。なぜ、元彼だけが良い思いをするのか、理解できません。

執着している自分に悲しくなり、良い思いをしている二人に嫉妬してしまいます。どのように気持ちを切り替えたら良いでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

選ばれたのは彼女

まずは自尊心と所有心を抜きに物事を観ることです。
嫉妬が入り込むと純粋に物事の本質が見えなくなるからです。
嫉妬は自分の自尊心がらみと、相手を所有したい気持ちがらみのものがあります。
これは彼女は関係ありません。そのウソつき浮気野郎が問題なだけです。
今回の本質はあなたが「自由になれた・浮気男と縁が切れて良かった」ということ。
元々、彼と出会う前は、彼もあなたもお互い、誰のものでもなかった、ということを思い出してみてください。
考えてみれば口のウマい、女子ウケする甘い言葉を吐くただのナンパ師だったのではないでしょうか?
海外に行けばそういう快楽目的の男性はワンサカ。みんなに同じことを言って気を引いてオイシイ関係を求めているだけ。「愛」とは言えない遊びに勝手に「愛」だと感じてしまう女性も多くいるものです。目を覚ましましょう。
人は自分をホメて、高めて、肯定してくれる人を、あたかも自分のことを好きでいてくれる運命の人だと錯覚してしまうものです。だから男性は求愛行為をする鳥のように狙った女性に交尾目的で口から出まかせ嘘八百を言いますが、それは男性的にはリップサービスというもの。
行動で判断しなきゃダメなのです。
何故なら、本当にそう思っていれば、あなたを選んだ。
口のウマい浮気性男は嘘快楽目的自分ラブの哀れな交尾マシーン。
誰であっても結局満たされないのです。
そういう男性のエゴにつき合わされ騙されたままになってはいけない。
気づかない人は、残念ながら都合のイイ女です。
本質的には世の中に何百万人といる不倫しながらも奧さんと別れてもらえない夢をつかまされた女性と同様です。
都合のいい女にならずに男に利用されず、女の尊厳を守るためにこそ、未練を断ち切るのです。
ウソでもいいから自分を精神的に満たしてくれるサービスの需要があるからこそホストクラブもイケメンアプリビジネスも成り立つのです。中身はないですけどね。もう本質を見抜く目を持ちましょう。
あなたは選ばれなくてよかった。嘘つきで浮気性な疫病神が自分から去って向こうに憑りついてくれた。
もう男にだまされないように生きてください。女性として自立ある生き方をしましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

男はずるい生き物

男はいつもずるいんですよ。
男はフェードアウトしたがる。
でも、女は強い。
女はカットアウト。

強くお成りなさい。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

純真だったのですね。

 それは辛い経験をされましたね。ただ、正直申しまして、初心に過ぎると感じます。もちろん、「初恋の人と結ばれて、一生幸せに…」という夢を見るなとは言いませんが、それが一概に「幸せである」とも言えないのが、世の実相です。
 男にもいろいろいます。ただ、私の身の回りの経験からして、「熱しやすく冷めやすい」男というのは、昆虫採集にも似て、珍しい蝶を必死で追い求める割には、手に入るとあっさり放置したりします。恋愛対象としては刺激的かも知れませんが、長くお付き合いする相手としては、あまり相応しくない気がします(もちろん、女性にもそのような方はいらっしゃるのですよ)。
 「結婚前には、両目を開いてしっかり見なさい」という格言があります。良いところ、悪いところ両方をちゃんと見るべきだと。「恋は盲目」になっては、本当はいけないのです。
 そして実は、「結婚したら片目をつぶれ」と続くのです。決心して一緒になったら、相手の悪いところは見て見ぬ振りをしてやれ(お互いに)、という訳です。「いずれそう思える」と感じられるお相手が見つかるといいですね。
 ということで、「執着、嫉妬をなくしたい」のであれば。
1)王道。もっといい、安心できる彼をつくる。
2)彼の魅力でもあり欠点である所を、冷静に見抜く。取っ替え引っ替えする人でしょう?
3)職場を離れる。

あなたは、このことを通じて「男というもの」を少し学んだのですから、これからはそれを活かしてより上手なお付き合いができるはずです。お幸せをお祈りいたします。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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