仏教の教義の違い について
私は 以前 お不動さん、観音巡りもしたことがあります。五戒をおこさないようにと思い 写経をしたりもありました。
日蓮聖人の教えを弘教している人達に 会うことが 多くなり 仏教の教義 謗法について 回想することになりました。その時から 幻聴が始まりました。
救いや懺悔を 日蓮聖人のご本尊にすればよかったのでしょうが 攻められているようで 他の宗教や念仏に救いを求めてしまいました。
キリスト教の本を読んだりして 教会に行ってみたり 新興宗教から日本神話を読んでみたり 神社に行ったり しましたが 原因になった仏教が気になりました。
日蓮聖人は 法然さんを 立正安国論で 謗法といい 布施までやめるように 国に論じてました。法華経を捨ておき 念仏を信心しなさいと言われたから法華経に対する謗法だということでした。法然さんは 他のお坊さんからも意見が多かったようですが。法然さんは 他は 気にしないで 念仏をしなさいといっています。
法然さんの教義では 念仏以外を謗法とは言わず 雑行と言われてますが 気になります。
法然さんは 法華経を学ばれた上で 念仏を選びとられたのだと思いますが 私は 自分が救われるのかが不安です。かといって 日蓮聖人の教義に没頭するには 不動巡りや 法然さんに 執着があったのだと思いました。
お寺にいってもお坊さんには 聞きづらく またどういって伝えたらいいのかもわかりませんでした。
幻聴があることでの死への恐怖があります。克服したくて 介護の勉強 カウセリングの勉強をしています。
幻聴がなくなり 仕事として 役立てたいのです。が 幻聴があることで自信がありません。
幻聴は大分落ち着いたのですが 仏教を正しく学ぶことで 良くなることを願ってます。
メールで お話しできることが 救いです。
祈祷を頼むのもいいのかなぁと思ったこともありましたが 思いも定まってなく 内容も深そうで 迷惑かなぁとも思いました。
お墓は 宗派問わずとありますが 質問も宗派問わずでいいですか?
法華経と 念仏は 敵対してるのですか?
私は 宗派より 心が整理できて 赦され 勉強している介護やカウセリングが 人に役にたつ仕事が できるようになりたいのです。
よい方法はないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
法華経と念仏は敵対していません
ご安心ください。
法華経と念仏(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)の教えは、敵対していません。
念仏の教えは、私達が極楽浄土に生まれ変わるための教えです。
いわば、極楽行きのチケットです。
極楽浄土は、私達が仏教を学びやすい環境です。当然、法華経の教えも極楽浄土で阿弥陀仏のご指導のもとで学べると思います。
私達のような、煩悩まみれの人間にとって、法華経をはじめとする仏教の教えをちゃんとマスターするのは難しいかもしれません。
だから浄土宗では、まずは極楽浄土行きのチケット(念仏)を肌身離さず持ち歩きましょうと説きます。
念仏の教えは、私達が最終的に法華経をちゃんと理解できるようにするための教えなのです。
法然さんも日蓮さんも天台宗の出身です。
天台宗では法華も念仏も学ぶと聞きます。
教え同士は敵対しません。
敵対するとしたら、それは私達人間のプライドの煩悩(自分を他より素晴らしいと思いたい)がそうさせるのかも。
幻聴については、仏教を学んだから幻聴が起きるというのは考えにくいと思います。
あなた自身の体調不良を改善する必要があるのかも知れませんね。
人間は、どうせできることしかできないのです。あなたは、あなたにできることを、できる範囲でやればよいのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
法華経の教えを理解するために 念仏というチケットを頂いていると 聞いて 安心しました。
体調の変化からくる幻聴を 脳が 知っている話で 作っているのかもしれません。
心理カウンセリングの本にも 心と体の結びつきで どちらが 先か 後か みたいなくらい 人間の体は 体調にでるようですね。
人間は できることしかできないと 聞いたのも 安心しました。
自分ひとりで できることは 何もないし まわりは 敵ばかりで 守るべきものを さがしていたのかもしれません。
守るべきものを 守るためには 自分も守られているという安心感が 必要でした。
って ことは 自分で自分を守ることをしなきゃいけないと思いました。
正しい生活感が 大切だなぁ と思いました。
できることしかできない 人間って ちっぽけだけど 生きなきゃいけない し 責任を放棄すると 後悔することになるし
悪業が 懺悔のもとになるということは 本来 人は 善いものであるということだろうと思いました。
日蓮聖人は 自分は身分の低いものだけど 王法である法華経を学ぶことは 良いことだと思われた。安国論では 自分が 国の王であれば と 仮定されて 主人と客という形で ご自分の理想の仏国土を創るための政策を提案された。通らず 流罪になったのは 当然だと思うけど 難しいですね。
法然さんは 仏国土を 阿弥陀様の誓願は 叶っていて 念仏をすれば 極楽浄土に導いてくれる とされた。
飢饉や 災害が 多いなか 極楽浄土を信じて生き 人にも 手を差しのべる心を 導かれたのだと思いました。
今も 仏教の方々が 福祉に 従じられてるなか、飢饉的な方々、看取りや 亡くなった方々や 遺された遺族の方々の心のケアをされているのかなぁと 思いました。
なかなか 仏教を学ぶと言っても 大変なことだなぁと 思いました。
なんにもできないけど がんばってみます。
ありがとうございました。
悪業が 悪業を 重ねる。それが 輪廻でしょうか。
輪廻からの 解脱に 必要なものを 考えたのが 仏教なのかぁと あらためて 思いました。
がんばってみます。
以前 読んだ本の良寛さんを 思い出しました。良寛さんといた尼さんのことも
大変だぁ。ほんと 人は 煩悩だらけです。
煩悩をとることだけ 考えてたら 何もできないかも 煩悩に負けないで 善いことをすることが 大事なことを 菩薩行って いうのかな。と 思いました。
日本には たくさんのお坊さんが いたし 世界にも たくさんいるけど すごいなぁと 思います。
がんばってください。
ありがとうございました。
法然さんは お父さんが 亡くなるときに 仕返しをしてはいけない。法然さんが 狙われることになるかもしれないから と言われた。と書かれていたものを読みました。
法然さんが 善導さんの念仏に 凡夫の救われる道を見いだされ 謗法、五逆の者も 大慈悲で救われる と 書かれたものを読み 救われたと
仏教って 大変ですね。
日蓮聖人が 念仏を否定されたものを思い出すと 不安になり 法華経を読むと 念仏が 気になり めんどくさいことをしています。
仏教は 争いのためにあるわけではない と 思います が 争う人もいますよね。
ちゃんと 読むと 祖師の方々の思いであり 争いではないと わかるのですが
祖師の方々の想いを 正しく 伝えていくのは
大変だと 思いました。