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死について

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有り難し有り難し 34

こんにちは、おはようございます いつも死に、ついて考えています。質問者の中に、自死されて深刻な質問もある中、こんな質問もなんだと思いますが、自分が死ぬことは、肯定は出来るのですが、死ぬことに、恐怖があります。人間は、何時か亡くなるときが来ます。恐怖を感じないようにするには、どうしたらいいと思われるでしょうか?

2018年2月15日 8:12

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

葉っぱは散ってもまた次の春に芽吹く

葉っぱのフレディという絵本が大好きで、よくこのhasunohaでも引用させていただいてます。
ざっとした内容は、以下の通りです。

大きな木の枝に生えた葉っぱのフレディは、周りの葉っぱ達と仲良くおしゃべりをしながら、太陽を浴び、そよ風に吹かれ、雨に打たれ、時にはその葉っぱで木陰にきた人を涼しくしてあげたりしていました。
やがて秋になり美しく紅葉したフレディ達は多くの人々を感動させました。太陽や雨の当たり具合、他の葉っぱとの距離感などで色づき方も違います。
中には、突風や大雨などで、枯れる前に散ってしまう葉っぱもいました。
やがて冬が近き、寿命を迎えた葉っぱ達は次々に枯れ、散っていきました。
フレディは、隣にいた友達の葉っぱに聞きました。「ぼくはみんなが枯れて散ってゆくのが寂しい。僕もいつか散るのがこわい。この気持ちはなんなんだろう。」
すると、友達は言いました。「それは、死ぬと言うことだよ。」
フレディは言いました。「ぼく、死ぬのが怖い」
友達が言いました。「死ぬのは、少し寂しいけど、怖くはないよ。僕たちが死んで、この大きな木の根元に落ちる。そして土に帰って、栄養となって木に吸い上げられ、また次の春には新しい葉っぱとして枝に芽生えるんだ。死ぬというのは、変わることだけなんだよ。」
そしていつしか、友達も散ってゆきました。それから少しして、雪をかぶったフレディも、ゆっくりと散っていきました。そして、また来年の春、この木の枝で同じように芽生えるのです・・・。

この絵本は、海外で出版された絵本ながら、どこか仏教的な死生観のある物語です。
・この世のすべては一つの生命体(絵本では土のようなもの。木は地球と考えて下さい)であり、そのなかで生まれて死んでを繰り返している。自分と他人は、もともと同じ生命である
・生まれ変わるというのは、この魂がそのまま入れ替わるのではなく、大いなる生命に還って、またそこから芽生えること。
・なんの意味も無いような人生でも、知らず知らず誰かを幸せにしたり、安らかにしている。

量子の世界では、この地球上の分子の数は変わらないといいます。私たちが死んでも、身体が焼かれ空気や土に帰っても、その内訳が変わるだけでつねに分子は同じ量のまま変化し続けていると言います。
死ぬのは寂しい、でも怖くない。きっとまたいつか会える。これがこの物語のアンサーです。

2018年2月15日 10:16
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有り難し
おきもち

女は愛嬌、坊主は読経。 真言宗僧侶・不悪口院 恵成(ふあっくいん けいせ...

後生の一大事

”恐怖を感じないようにするには”
行き先(成り行き?行く末?)がハッキリしてたら、案外平気なモンらしいです。

それよりも、置いていかねばならぬモノや手放していかなくてはならぬモノのほうが心配になっちゃいますよね。

2018年2月15日 10:02
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有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

質問者からのお礼

不悪口院 恵成 様 葉っぱのフレディ読んでみます。なんか感動して、考えさせられそうです。ありがとうございます。
 転落院 様 行き先がはっきり、、、確かにそうです。ありがとうございます。

お寒いところありがとうございました。

「死ぬのが怖い」問答一覧

死ぬのが怖い

30代女です。 小さい頃に母を病気で亡くし、そこから死に対しての恐怖心が生まれました。小学生の時に死ぬのが怖いと感じるようになり、死ぬのは嫌だと泣いたことがありました。 そこから中学高校大学、仕事と、小学生のときのように泣くほど怖がったことはないですがうっすら漠然と死ぬのは怖いなと考えることもありました。色々と忙しかったこともあり、考える時間も少なくなってきていました。 しかし、30代になり、ずっと続けていた仕事を人間関係で揉めて、中途半端な時期に辞めました。辞めたことに後悔はなく、ずっと続いていた人間関係でのストレスも一気になくなり、最初は楽しく考えていました。しかし、暇でずっとゲームをする日々、そして自分が30代という年齢に突入したこと、周りの人は結婚をして落ち着いている中恋人もいない、次の仕事もまだ探し中、親も父のみ、そして一般的な私の年代の親よりも歳をとっていますので、父の死についても考えるようになり、父が死んだあと自分は生きていけないという考えからまた、小学生の時のような自分が死ぬことへの恐怖心が再び芽生えました。 ネットで色々調べましたがタナトフォビアだと思います、身近な人が死ぬのも恐怖ですが、自分が死ぬことへの怖さ、無になることへの恐怖が強く、突然発作のように発症し、過呼吸になったり涙が出たりととてもしんどい思いをしています。生きたくないとは思いません。死にたくないのです。しかし、不老不死のように永遠に生き続けるのも怖いです。矛盾していますが...。1度考え出すと恐怖が止まらず、夜も眠れません。今の自分の状況がこの先不安でしかなく、30代にもなってこのタイミングで結婚もしないまま死んでいくという考えしかできず、ずっと怖いです。タナトフォビアの克服など検索しましたが、読むだけで怖いです。助けてください。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

死への恐怖

母は私が幼いころに癌を患い、その後治療を続けていたものの半年ほど前に再発しました。今すぐに命に関わるという病状ではないのですが、身近な人間の死に関わりうる病気を通して死というものを考えることが増え、もうどうしていいかわかりません。 私と母とは30ほど歳が離れています。つまり、一般的な寿命を迎えることができても、私はいつか母がいない時間を30年も過ごさなければいけない。そのことが私には耐えられないことに思えます。私には妹弟はおりませんので、私は家族の中で最も長く生きる可能性が高いわけですが、自分の大切な人が皆亡くなってもなお生きていかなくてはいけないのでしょうか。頭ではそんなことわかっているのです。死は避けられない、身近な人の死も受け入れなくてはいけないし、皆そうやって受け入れて乗り越えて生きていると思うのですが、わたしにはそのことができないように思えます。親不孝の極みですが、母が死ぬ前に死ねたら幸せだなとすら思ってしまいます。 私が中学3年の時に祖父が亡くなった時のことを未だに忘れることができません。少し前まで生きていた、人が、生きてはいないということが受け入れられず、その恐怖を忘れることができません。昔見たドラマで、大量殺人を犯した犯人が、人をモノにするのが好きなんだと言っているものがありました。祖父の葬式の時に感じた、人がモノになったということが、私の中に恐ろしい記憶として残っています。祖父の死以来、刑事ドラマも不愉快で見ることができません。人の死を面白がって作っているように思えてしまうのです。私はどうしたらいいのでしょうか。受験期に入り、ストレスや疲れもも溜まっているのか、死ぬこと、母のこと、いつか大切な人が皆亡くなってしまった時のことなどばかりかんがえてしまいます。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

死について考えるとパニックになります

死ぬことがとても怖いです。 死んだ後、こうやって今文字を打ってる、自分という存在はどうなるのかと考えると、怖くて仕方ありません。 死は逃れられないのだから、どうにか死を受け入れられるように、死というものに悲しいイメージを抱かないようにと、お釈迦さまの考えや、聖書など様々なものを読みました。 ですが、いざ死について考えた時、魂という存在や天国、地獄など、それらのものが無かったら?と考えてしまいます。 最近はニュースなどで殺人や自殺など誰かが亡くなってしまう内容を見ると、死は突然訪れるのだと強く感じ、とても苦しく、死にたくないと叫び泣いてしまいます。 こういう話を周りに相談すると、後悔の無いように生きることを全うする、考えても仕方ないのだから考えないようにするなどアドバイスをいただきます。 ですが、後悔の無いように生きても、私は死にたくないんです。死ぬ前に生きてて楽しかったな、なんて思える気がしません。 不老不死でいいのかと言われたら、それで構いません。私という存在が無くなることの方が怖いです。 死からは逃れられないという気持ちと、死ぬことが怖いと思う気持ちどちらも交互に出てきて、また教えやアドバイスを受けても、実際はどうなのか分からないじゃないかと考え受け入れることが出来ない、そんな自分はどうすればいいでしょうか。 まとまりのない文章となり申し訳ございません。お願いします、助けてください。

有り難し有り難し 40
回答数回答 3

死への恐怖を改善したい

初めて質問をする者です。 よろしくお願いします。 当方、大学4年生で就活活動中です。 タイトル通りなのですが、 いわゆる自分はタナトフォビアなのだと思います。 きっかけは恐らく 幼稚園の頃に経験した祖母の死 小学生の頃に経験した祖父の死 高校生の頃に経験した母親の死 だと感じています。 身の回りにこれだけの身内の死を経験した人がいなく、あまり共感はされません。 仕方のないことだと分かっています。 避けられないことだとも分かっているのです。 しかし、怖いのです。最近時間があるせいか、毎日のように死んだらどうなるのか、これからの別れに耐えられるのか、生きる意味とは何なのか、そういうことばかり考えています。 何も手につかなくなってしまいます。 周りの人たちは、こういうことを考えず前向きに将来のことを語っているのに、今の私にはそれが出来ません。私も前向きに将来を語りたいです。 心配性なところもあり、果たして自分はいつまで生きることが出来るのか、考えても仕方がない未来のことを心配してばかりいます。 周りからは明るい人間だと言われるのですが、今はとてもそんな状態ではありません。 きっと母親の死が大きすぎたのですが、高校生活が忙しく、適切に処理出来ていなかったのだと思います(泣いたら駄目だと思っていました) 同じように悩んでいらっしゃる方をここのサイトで知ることが出来、私だけではないのだと感じることが出来たのですが、やはり心配性、恐怖は改善されませんでした。様々なQ&Aを見てきた中で、なぜ仏教を学ばないのかと不思議に思うことがあるという回答をしていらっしゃったお坊さんがいたのが印象的でしたので、初心者にもおすすめな本などがあれば教えて頂ければ幸いです。 避けられない運命を、せめて受け入れられる考え方、心得を教えてほしい、助けてほしい。 以上、長文にお付き合いいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2

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