主人の介護不安
50代の主人がアルコール依存と診断され、
三ヶ月入院の後退院しましたが
仕事も失い 気力 体力も失い
一日に20時間程度寝てばかりです。
認知障害もいっきに進み
排尿便の失禁も度重なり
便がついたまま 投げ散らかしてます。
便の後片付けをほぼ毎日のようになりました。
まだまだ働いてほしい年代
収入面 介護疲れ 今後の不安
等 人生投げ出したい気分です。
主人の父 叔父も お酒が原因で 何年も寝込み 生を終えました。
怨念のように思えてなりません。
供養等 打開策をご教示願えませんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教は道理を説く
ご相談拝読しました。
お聞きするところの内容によりますとかなり負担の大きい要介護状態であるかとお察しします。
打開策は供養等ではなく市町村担当に相談しての要介護認定でしょう。当然もう申請済みかもしれませんが。まず受けれられる支援は全て受けましょうという提案です。
打開策として供養をお考えになったのはご主人のお父様、そして叔父様も同じような状況になったとのことで、先祖・親族の「怨念」と考えてのことなのかもしれませんが、そういったことはありません。
もちろん先祖・親族の「影響」はあり得ます。お父様や叔父様のそうした姿を見ていて自分も同じようになってしまったということはあるかもしれませんが、それは「怨念」ではありませんし、「供養」などの儀式で断つことが出来るものではありません。
仏教はそうした儀式の執行により、仏様の功徳をいただき、良い事を招き、悪い事を遠ざけるという教えではありません。
仏様のように真実に目覚め、全ての物事にが原因がある道理に頷き、自己中心の考えを離れ、苦しみの原因に真っ当に対処していこうという智慧の力をいただく教えです。
言うならば「なんだそんなことか」という当然の道理を説きます。しかし人間は状況が悪くなると道理を外れて自己中心に不思議な事を考えがちです。
ご主人がアルコール依存になったのも原因があってのことですし、今の状態も原因があっての事です。因果関係の結びつかない対処を施してもそれは打開策にはなりません。
医療・介護・行政等の支援を受けましょう。
その他に、あなたの心の支えとして仏教が必要ならば是非とも学び頼ってください。
仏教に自己を学ぶことにより、あらゆる物事がうまく進むということはありませんが、たとえうまく進まなくとも受け入れていける視点は得られるかもしれません。
介護を一人で背負うことは本当に肉体的にも精神的にも重労働です。どこかに逃げたくなってしまう気持ちも当然です。しかし真っ当でない対処に逃げても状況は変わりません。
どうぞ一人で抱えず無理なさらず、頼れる支援を受けましょう。
それでも現状から逃げたくなってしまう自己がいるならば、仏教にその自己を尋ねましょう。仏教で明らかになるのは状況の打開策ではなく自己存在の打開策です。