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お世話の負担と調整

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有り難し有り難し 3

私は20代後半でシフト勤務をしながら週5日フルタイムで働いています。
60代の父と2人で暮らしている中、
お世話になっているA子さんから、A子さんのお母様(80代)のお世話を頼まれました。A子さんは遠方に住んでいます。
具体的には、買い物の付き添いや代行をお願いされ、数日前に初めて一緒に行きました。(私が運転もします)
2時間の買い物と、1時間程ご自宅でお話にお付き合いしました。
おばあちゃんから「週に一度でいいんだよ」と言われました。
私の勤務状況では2連休がないため、1日の休みのうち3時間程度を取られるのは正直厳しいです。また、善意でおかずを持って行って食べてほしいと頻繁に連絡がきます。
(近くにA子さんもお孫さんもおらず、おじいさんしかいないので。おじいさんは週に何度か老人ホームへ行っているみたいです。)
ありがたいことではありますが、頻度が高いと受け取る手間や負担も感じています。
なお、足代等はありませんでした。

できる範囲でのお手伝いはしたいと考えています。
おかずを断るのも心苦しいですが、断るのは酷い人間なのか、実の祖母でない方にそこまで頻繁に通いお世話をしなければならないのかとも考えています。
今年、父が倒れた為、現在は普段通りの生活を送っているものの、なるべく父との時間も持ちたいと考えています。
また、自分の時間や友達のと時間、休息という意味での休日も大切にしたいのです。

とりとめのない文で申し訳ありませんが、
これは一般的な状況なのでしょうか?
どのようにお付き合いしたら良いのでしょうか?

2024年10月31日 14:21

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その案件、この上ない状況、より良いものへとアレンジ、可能。

まず、生活の苦しい現代はいかに生きるべきか。
いかに要領よく、そして、心を強く持って。
賢く、聡明に、心静かに、やすらかに、暖かに生きること。
それが大切です。
なんじゃ、和尚、あれこれできんわと思う必要はありません。
雨が降ったら傘をさす、寒くなったら厚着する、のどが渇けば潤いを、というだけの事でございます。
そりゃぁ生きていれば色んな方向から隕石のような、時にはよけなければいけないものも飛んできましょう。それでもその「これは困るなぁ」というものも次回から丁寧に冷静に暖かく、安らかにみつめてみることでござんすよ。そうするとアタシがなくなるビジョンになる。アタシが先んだつときはアタシの都合がファースト。
ですが、モノや相手には悪気はないと知れば、それはそれで功徳、メリット、助け、きっかけ、機縁、学び、救い、出会い、恵みとなるのです。
なんじゃ、和尚、あれこれようわからんわと思う必要はありません。
福の神も厄の神も同じ顔、災い転じて福となし、人生万事塞翁が馬、どんなことも良いことにせよ、というだけのことでございます。
誰がそれを嫌な案件にしているのか。それが全部アタシファーストの自我意識のツッコミの速さです。
迷い苦しみ多き人とは大谷翔平選手以上の優れたマインドで自分の出会う案件を迷い苦しみにしている天才なのです。だから、自分の優れた力をそんな無駄な案件に転ずる必要はありません。事案は事案。出来事は出来事なのですから、アタシの評価、ジャッジ、思い込みを捨てて、より良いことへと転ずるのがあなたにとって次回から発動すべき仏の大技
①お惣菜攻撃を転じて食費ゼロと為す大作戦です。
あるいは
②後数回善意マックスでお勤めし、なにも喜びも見いだせないのであれば仕事を理由に辞退大作戦。
そのほか
③やっぱり私にも父とゆっくり過ごせる時間が欲しい大作戦。
④タイムシフトチェンジで押しかけ大作戦
⑤A子さんに「訳あってお断り」大作戦
⑥おかず令和女子アレンジ大作戦
⑦おかずタッパに冷凍庫で取っといてください大作戦などなど無数にございます。
別に839の嫌がらせでも何でもありませんし、無理ならいけないとお断りすればいいだけのこと。どんないいことに見えても大谷選手の相手チームの選手お子さんは大谷選手が敵な子もいます。川口では893もK人問題で活躍で市民から絶賛されています。毒を薬に転ず。

2024年10月31日 20:32
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
読んでいるうちに自然と気持ちが落ち着きました。
自我意識が強い自分を再認識しました。この状況も何か良い方向に転換できると思います。
今の自分に必要なことを身に着けながら、気持ちを前向きにして、あと数回だけは頑張ってみようと思います。
A子さんとは連絡がつきましたが、どこか他人事のような返答をいただきました。
最低限のこと意外は気にせず、気に病まずに私を大事にしよと思います。

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