毎日家族の生死が不安です
初めまして。私は、10年前夫が病気で死にかけてから、死への恐怖が強く悩んでます。自分の死もそうですが、家族の死のことが怖くて仕方がありません。朝、皆を送り出してから、夜帰ってくるまで、家族の生死のことばかり考えて、苦しくなるのです。特に次男が心配で、もう高校生なのに、ちょっとでも帰りが遅いと迎えに出てしまいます。長男と夫にも似たような気持ちを持っています。自分の死も不安で、病気に神経質で、いつも体の心配をしています。どうしたら、この苦しみから逃れることができ、平穏な気持ちになれるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人は何時か死ぬもの
人は何時か死ぬのです。明日の命すら保障されていません。そういうものだということをまず知っていないといけません。
生きていることが当たり前だと思っているから、それを失うことが怖くなります。
生きていることは当たり前のようでいてそうではありません。
未来があるものだと思うから、失いたくなくなるのです。
事実は違います。「今」しかないのですよね。未来の別れがどんな形でいつ訪れるかわからないですが、それを妄想し、不安で過ごすことは、全く無意味です。それを考えている間、目の前の現実はおろそかになります。今があるのに、それをおろそかにし、妄想に生きるのです。
大切な家族との時間。食事をしたり、話したりして友達と過ごす時間などをおろそかにしてしまうのはなんとも悲しいですね。「今」を生きてください。
確かに不安ですが
まず、潔癖にならないことです。
人間の皮膚、内臓は無数の細菌が守ってくれています。
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さて事故の心配があります。
注意していても事故に遭うことはあります。大難が小難、小難が無難と神仏に手を合わせることです。人間の力ではどうにもならないことですから。
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次に病気の心配があります。
病気の大半はしっかりとした先祖供養で未然に防ぐことができます。先祖は生きている者を守ることはありません。むしろ救って欲しいと頼ってくるのです、そこに気づいて欲しいために、自分の苦しみと同じ苦しみを生きている者に与え供養を催促しているのです。
質問者からのお礼
早速のご回答ありがとうございます。確かに自分は完璧主義だと思います。事故の無いように神様仏様にお祈りするしかないのですね。あと、病気が御先祖様の供養と関係があるとは、初めて知りました。何か御先祖様からのメッセージがあるのに、私が気づいていないだけかもしれません。供養について今一度考えてみたいと思います。