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別れを受け入れて前に進むためには?

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有り難し有り難し 39

はじめてご相談します。
交際して7ヶ月の恋人から突然、膵臓に腫瘍が見つかった、すでに抗がん剤を始めており精密検査で入院予定、いろいろ考えたが身を引く、肉体的精神的にギリギリのため会うことができず申し訳ないというメールがきました。これまでのお礼とともに、返信不要と書き添えてありました。

付き合いは順調で、そろそろ実家への紹介を考えた矢先の出来事であり頭は大パニック、また膵臓でイメージされる余命、なにより両親を亡くしているため健康には人一倍気を使っていた彼の心境を思い、涙が止まりませんでした。

そのメールには、その決断は理解できるけれど私は支えたい、今すぐは無理でも落ち着いたときに連絡が欲しいと返信。また数日おきに体調への気遣いや、一緒にいたいこと、他愛のない話題などをメールしましたが一切返事はなく、今朝1週間ぶりに送ったメールは、宛先不明で戻ってきてしまいました。受信拒否設定をしたか、アドレス変更、または携帯を解約したのかもしれません。

彼の勤務先は知っていますが、身内や友人はまだ紹介されておらず、私からできるアプローチはもうありません。私を拒絶する意思の固さを痛感し、別れを受け入れるしかないのだなと… とても辛いです。ここまで、最後にメールがきてからまだ3週間の出来事です。

最初の数日は絶望と混乱と悲しみで泣きまくりましたが、その後はつとめて普通に暮らすことを心がけ、普段通りの顔で仕事をし、気晴らしに買い物や飲みにも行きました。でも今朝の宛先エラーでまた悲しみがよみがえり、彼にもう会うことができないという現実に打ちのめされています。

この辛さを抱えて毎日をただやり過ごすのはしんどいし、彼の記憶も悲しみも消すことはできないけれど、自分らしく前に進みたいと思う。でも最後に拒絶されたことがとてもショックなんです。それが彼なりの優しさや美学なのかもと自分に言い聞かせても、辛いのは彼の方だとわかっていても、この現実をどうしても受け入れられないんです。いつか立ち直れるなんて思えない。すごく空虚です。
この気持ちを消化して、前に進むために私ができることを教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

コミュニケーションの不完全燃焼

私はケースこそ違いますが、学生時代お付き合いして一週間で別れを告げられ、どうしても納得がいかなくて、どういう理由であるのかを電話したら人が変わったかのように「家に電話しないでください!」ってキレられたことがありました。
数年間疑問でした。
今考えると、当時携帯もない時代でしたから(以下、推測)、お相手の方は家庭環境も厳しく、急に男性から電話がかかってきたので父親母親の手前、冷たくそっけない態度で突き放されたのではないかと。仮にそうではなくても、そう考えるようになって「そういうことってあるもんだしなぁ」と納得がいったのは10年以上たった後のこと(随分時間かかったねぇ)でした。今でも真意は分かりません。
「理由がわからない」まま、コミュニケーションが不完全で終わるという事は、未浄化で苦しいことですよね。よって、あなたなりにポジティブな「きっとこうに違いない理由」を考えてみてください。
相手がそこまでして会おうとしないのは、それなりの理由があるはずでしょう。
きっと、あなたには伝えづらい「そういう理由」があるのです。
ここで申し上げる「そういう理由」とは、言うに言われぬ人間ゆえの何らかの理由です。
それを考慮してあげてみてください。
人間は不完全なものがあるものです。完全ではありません。人間性が最初から最高に優れているという訳でもありません。その人なりの最上のメッセージだったのでしょう。
それをあなたなりにキャッチしてあげてください。
「きっとそうに違いない」ですよ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

状況はどうであれ失恋を受け入れて…

お辛いですね。

恐らく私なら、会社に偽名を使って仕事関係を偽って乗り込んで行って
つまみ出されて…もっと悲しくなるかもしれません(汗)

もしかするとその彼は職場すら変えている可能性もあります。

そこまで頑に貴女を拒絶したと言う事は、
最期の心残りを残さず一人で死んで行く事を選んだのだと思います。
それを受け入れてあげるのも愛情かもしれません。

失恋にはいろんな形態があると思います。
貴女の場合も彼から来たメールに「病気」の事が書かれていなかったら
ただの彼の心変わりと認識されたと思います。

あなたの中には彼に対するいろいろな思いが激しく渦巻いていると思います。
全て紙に書き出してから、その紙を台所のシンクの中で燃やすか
ビリビリに破いて捨てましょう。

それでも気持ちは晴れないと思いますが、
きっと時間が解決してくれると思います。

そして可能であれば、状況がどうであれ、
彼の魂の安寧を少しの間祈ってあげましょう。
あなたの中の彼を成仏させるために……

追記:貴女の彼が嘘をついているとは思いません。ただ、いかに貴女が先に進めるかなのです。
人は自分に出来る事しか出来ません。彼に対しては貴女にはもう出来る事は祈る事以外には何も無いように思います。質問のタイトルのように別れを受け入れる…と言うのではなく、もう一度会いたいと強く思うのであれば、そのように祈るのも良いかもしれません(祈りは通じる事も多いのですから_)。しかし、その場合会えれば良いですが、会えなかったらずっと気持ちを引きずる事になります。自分はどうしたいのか…ですね。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

観能のススメ

能楽に「道成寺」という演目があります。
一度、観に行かれたらいいですよ。そこから考えてみるのもよいでしょう。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。まとめてのお礼になりますがお許しください。

癌は別れる(逃げる)ための口実、という解釈でしょうか。よくある話なのですか? ただ、激ヤセや体調不良の様子を目にし、人間ドックやMRIの結果を聞いた上での報告と決別メールでしたので、事実なのだと思っています。
むしろ別れるための嘘でも元気なら、もうそれでいい。普通にフラれたのなら少し落ち込めば、こんな男いらない、次や、次!と吹っ切れますので…

独りになりたい彼には、独りじゃないよという励ましはノイズだったんだな、余計なことしちゃったなと後悔しています。彼が楽になりますように。

こうして気持ちを書き出したことで、少しだけ楽になった気がします。友人たちにはもう少し泣き言に付き合ってもらいます。
ありがとうございました。

悟東和尚さま、追記ありがとうございます。
自分はどうしたいか…会いたいけれど、会えないままこの先何年もこんな風に引きずることが怖いです。時間だけ経って、一人で年老いている姿を想像すると、絶望的な気持ちになります。最低ですが、彼を恨んでしまいそう。エゴですね。
彼の体と心が安らかになるように願います。親身にお答えくださりありがとうございました。

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