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彼氏いない歴を聞きたがる男性心理

回答数回答 3
有り難し有り難し 39

こんにちは。

私は彼氏いない歴3年〜、そしてその彼が初めてで半年程度しか続かなかった23歳女性です。ちなみに、自分の容姿は「あー多分恋愛したことないだろうな」と思わせるものではないと思います。

さて、社会人になってこのままではいけないと思い、最近婚活の様な活動をしています。しかし、連絡のやり取りや会った雰囲気は良い感じでも「いつから彼氏いないの?」や「どのくらい付き合ったの?」と聞かれ、正直に答えると引かれることが多いです。

経験が年齢に伴う期待に沿っていないとそれだけでアウトなのでしょうか。私自身は自分の交際歴にそんなに大問題があるとも思えないし、相手の交際歴にそれほど関心は湧きません。

彼らは何を求めて質問しているのでしょうか。長くなりましたがご教授頂きます様お願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの反応を見ている

質問は何でもいいのでしょう。
あなたにとっては聞かれたくない質問だったのかもしれませんが、男性側にとってさほど重要だから聞いているというわけではありません。
きっとあなたの様な素敵な女性が、それほど長い間彼氏がいなかったことに驚いたのでしょう。エー(゚д゚)!
あまり卑屈に考えないでくださいナ。逆に彼氏がずっといると答えても、それはそれなりの反応だったのではないでしょうか。エー(゚д゚)!
自分に可能性があるかどうかのシュミレーションかもしれません。(^<^)
相手の反応を見て、自分の中であれこれ妄想するのが世の男性です。
興味の無い人には相手がどれくらい浮き合ったかどうかなんて聞きもしません。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

攻略のための情報収集です

目の前の女性を自分のものにしたいと考える男性は女性の過去の恋愛経験から攻略法を探ろうとする場合があります。
傾向と対策です。
また、過去に興味をもたずあなたとのこれからを考える男性もいます。
男も女もいろんな人がいるということです。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

気に入られようと思う必要もない。

あなたは、恋愛経験が少ないことに対して、マイナスに捉えてませんか。
多くの男性は、そんなことどうでもいいと思ってますよ(^^)会話の糸口を探しているだけでしょう。

もし、そこを重視している人がいたら、それは今のあなたを見ていない、過去を見ているだけの人。気にしない、もしくはこっちから願い下げ。ぐらいの強気でいいでしょう。

自分や一般の考えた価値判断はどうでもいい話し。単純にあなたと気の合う方を見つければいいだけでしょう。気楽にいこう!

良いご縁に恵まれますように。合掌。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

あんまり慣れてない人は門前払いみたいな扱いを受けて、最近すごく凹んでいました。過去にばかりこだわらず、今の自分を見てくれる人に出会えるよう頑張りますね>_<

まさかもう一件ご回答頂けるとは。丹下さんありがとうございます。そんな素敵な理由だと祈ります(ノ_・。)

私は最初の恋愛で少し嫌な思いをして、付き合う前に二の足を踏む癖がついてしまいました。あと、元々はかなり太っていたのでモテとは程遠かったのです。

今では恋愛に勢いも必要だと理解仕直し、15キロ痩せたので過去ばかり着目されると辛いものがあります。

私が深く考えても仕方ありませんので、正直に答えつつ流れに任せて良い方を探します。改めてありがとうございました!

またまたご回答ありがとうございます。邦元さん。

そうですね、ネガティブに捉えがちになってると思います。
その質問が出てからギクシャクしてしまう流れがある気がしてしまって、構えちゃうんですよね…。気にしないよう努めます。

しっかり今の自分と向き合ってくれる人を探します。ありがとうございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ