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安楽死の合法化

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今、安楽死について習っています。
私は、安楽死を合法化するのはいけないとおもいます。
もし自分が重い病気になって、安楽死が合法化されていたら、安楽死したいと思うかもしれません。
でも、まだその病気で死ぬとは限らないし、
今の医学からしたら治る可能性も十分あると思っているので、どんな理由があっても薬剤などで直接手を下して患者の命を断たせることはいけない。
そして、病気になって苦しくて、死んで苦しみから解放されたいと思うことはあるかもしれないけど、どんなに苦しくても、病気と向き合って頑張って負けずに闘ってほしいと思うので、安楽死は合法化しない方がいいと私は思います。
和尚さんは、安楽死についてどう思いますか?

2015年12月10日 16:53

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでも本当に死にたい人は死んでいる事実

今日も80人の方が自ら命を落としました。
年間3万人が自死を選択しているからです。
生きることが「辛い」と思い「こんなつらい思いをするのであれば死んでしまった方が良い」とすら思ってしまうのが悲しいことに人間の性です。
生きながらえたい、永遠い生きたいと思うのも人間のエゴ。
死んでしまいたい、今すぐ死にたいと思うのも人間のエゴ。
根柢にどちらも人間のエゴがあります。
分かりやすく言えば、自分が自分のエゴに支配されているのです。
自分が自分のエゴに支配されていると、エゴが生み出した虚妄の願いや思いに支配されます。
まずは、そこに向き合う必要があると思います。
生きたいと思うのも人間の自我。
死にたいと思うのも人間の自我。
仏陀、悟った人は、自分の思い・自我から自由になっています。
だからせいに過度に執着せず、自ら命を縮めることもせず、天命、天寿を全うします。
「人間だけが行う【人為】」というものがあります。
仏教の救いは、その人間の【人為】から自由になる心を得ることです。
自分の自我を鎮め得れば、無理矢理命を絶つ事もなく、自分だけ生き永らえようという心もなくなるからです。ここのところを参究なさってください。

2015年12月10日 20:48
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

他人の痛みは計り知れない

難しい問題ですね。
はたから見ているとそんなに辛くないように見えても、本人の苦しみは死にたくなるくらい辛いものかもしれません。
安楽死と尊厳死も違うのかもしれませんが、かなり限定した条件下では、認めてもよいのではないかと、個人的には思います。

病気ではないですが、あなたがもしテロリストに捕まって、毎日毎日何時間も拷問されら、もう死んだほうがマシだと思ってしまうかもしれません。
それを誰が責められるでしょうか。
個人的には、悩み苦しみから解放されることは重要だと思います。
さまざまな選択肢があることは、良い面もあると思います。

2015年12月10日 23:07
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おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

苦しみの原因

そのとおりです。
本人はもちろん、ご家族も苦しい。
苦しみから逃れることは簡単です。
しかし何故病気になり苦しむのか、何故病気の家族を持たなければならないのか。
その理由を考えるのが宗教です。
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結果には必ず原因があります。
病気になる原因はもちろんですが、病気の家族を持たなければならない原因もあるのです。それは生まれる前の世界にまで遡ります。
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誰かに今の自分と同じ悲しみと苦しみを与えたことが原因となって、今その報いを受けているのです。
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悪い事をしたら罪を償うのは当たり前ですね。過去世の罪を償うために今苦しんでいるのです。
病気の苦しみから逃げるということは、過去世の罪から逃げることですから許されないことです。
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もし、身内を殺されたとしたら犯人には罪を償って欲しいですよね。罪を償うのが嫌で逃げていたら、僕だったら腹が立ちます。絶対に許しません。
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不運不幸困難から逃げるのではなく、あなたの言う通り、立ち向かわなければならないと考えます。

2015年12月10日 19:26
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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...

拙生も「安楽死」は合法化しない方が良いと思っています。

あゆみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「安楽死」につきましては、これまでにも下記の各問いにて少しく扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/安楽死

個人の尊厳の尊重の観点から鑑みても、「安楽死」は合法化しない方が良いと思っています。

仏教では、死は終わりではなく、今の肉体が滅んだ、その後も続いていく心の状態(心相続・心の連続体)をどうするべきか、もちろん、死を迎えるまでにどのように調えておくべきか、ということが大切となります。

ダライ・ラマ法王猊下様は、「安楽死」について、以下のように昔に述べられています。

「仏教の観点からすると、臨終の床にある人間が、肯定的な、善なる考えを抱く機会があるならば、わずか数分でも長く生きることは意味があり、大切である」

「死にゆく人が肯定的な、善なる考えを抱く可能性がまったくない場合、単にその命を維持するために膨大な金を費やしても、たいして意味は感じられない。しかし、いずれの場合も、個々の事情を考慮すべきだ。一般化するのは危険といえる」

この問題に関しましては、肉体と心は、別で考えるべきであると思っております。

肉体の働き・作用がほとんど無くなる、機能しなくなろうとしていても、存続していく心の状態を重視して、その赴きがより善いものとなるように、できるだけ本人も周りも努力することが大切となります。

とにかく、死にゆく者の「心」の状態を尊重し、どの選択がより善い心の存続のためになるのかを、周りの関係者も含めて、個々の事情を考慮して、慎重に選択していくことが必要であると存じております。それを法律で一律に決めてしまうというのは、やはり難しいものになるのではないだろうかと存じております。

川口英俊 合掌

2015年12月11日 13:10
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

「死について」問答一覧

親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

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自殺の身勝手さ。第三者を巻き込む死

私の大切な家族が自殺の第一発見者になりました。会社で、恨みつらみを書いた遺書がありました。トラウマになりました。会社に行くたびに思い出すだろうし、顔が頭から離れないみたいです。私は、亡くなった人を悪く言うのはいけないとわかっていても許せません。 そんなに恨みがあるなら生きて戦えばいいし、それが無理なら社長の前で死ねばいい。その死をもって何か変わると思ったのかもしれませんが、変わらないし逆恨みらしいです。そんな風に恨みながら死んでいった人を、恐怖の中で懸命に救おうとした家族の気持ちを考えると、怒りが込み上げてきて、私の方が恨んでいます。きっとつらくて当人にしかわからない苦しみがあって自殺に至ったので、 責めるのもおかしいですよ。でも、これからってときなんです。もしこの先、PTSDになったり精神が病んでしまったら、誰も責任はとれません。ハスノハでも自殺したいという書き込みを見ます。 死にたいなら黙って人目につかず死んでください。私は大切な恩師を亡くしました。最後まで生きることを願い、余命との恐怖の中でも諦めず、死と正面から向き合いながら必死で生きることを教えていただきました。だからこそ、自殺したいとか自殺した人を軽蔑します。人それぞれの人生ですから、生きられない人の分まで生きろとか思いません。関係ないですから。でも、死ぬならどうぞ人目につかないところでお願いします迷惑です。自殺するということは、それを発見する人が必ずいる。その人の家庭を追い込み、その人自身が病んで病気になったり、最悪自殺することもあり得るかもしれない。自分勝手に一人で死んだつもりでも、誰かを巻き込み誰かの人生まで狂わすんです。もうサスペンスやドラマを見れなくなるかもしれない。完全な日常には戻れないかもしれない。自殺する人に死なないで、生きてたらいいことある!なんて言っても本人の辛さはわかりませんから。ただ、発見した誰かの人生まで巻き込まないでもらいたい。それを踏まえて自殺なんてしないでほしい。そんな自分勝手な死は私は最低だとおもいます。私なりに家族を支えていくつもりです。考え方が自分でも最低だと思います。許す、許さないという立場でもないです。頭ではわかっていても気持ちがどうしても故人を恨んでしまいます。 一人で解決できそうにないです。

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安楽死について

度々の質問を失礼致します。  最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。  実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。  安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。  それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。  また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。  生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?  笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。  安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。

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人が死ぬと言うこと

初めて投稿させていただきます。 人の死について、今頭から離れないことがあります。 私や私の両親の事ではなく、近所の80代の男性(ご夫婦でお住まいです)が今年始めに病気で入院手術されました。手術は成功したのですが、先日から急に体調が悪化し手足に水が溜まるようになって今日再び入院することになったそうです。 お医者様によると「いつ何時に…」という事を言われたと奥様が言っておられました。 私は顔見知り程度で何度かお話ししたり、いつもご夫婦でお散歩されている姿を見ていただけですが…なんて言えば良いのか、お二人が並んでお散歩されているお姿がもう見られないのかと思うと急に寂しく感じられ、今日お話を聞いてから落ち込んでしまっています。 お子さんは息子さんがお二人いらっしゃるのですがそれぞれ事情があり、ほとんど会いに来てくれないみたいです。(ご長男は近所に住んでいます) あまりにもご実家に帰ってこない事でご主人は「子供なんて産むんじゃなかったな」とさえ仰ってたと聞きました。もちろん本心からではないと思いますが、病気でしんどくて心が弱っている時に息子が家に全然来てくれない、病院に送ってもくれないとそんな愚痴も言いたくなるのかもしれません。 私が「検査の時や必要なときは病院までいつでも車で送っていきますよ」って言っても、いつも「大丈夫です」って遠慮され、お二人で通っておられました。私の母が奥様から聞いたのはご主人が「息子でさえ来てくれないのに、ご近所さんにそんな迷惑はかけられない」と仰っていたみたいです。 何か私にも出来ることはないかと考えていた矢先、再入院。 そして、もう長くないと… 人は必ず亡くなるものですが、何もしてあげられなかった後悔が溢れてきて。 出来れば、また元気になってもらえたら良いのですが、もし無理なら少しでも穏やかに最期をむかえてほしいと願わざるを得ません。 私は人の死を受け入れる事が難しいのか、覚悟が無いのか、ずっと頭から離れなくて辛いです。 人が死ぬことを想像すると悲しくて怖くて。きっとこれから何度も経験していくのにこんな弱い精神で耐えられるのか。 どう考えていけば良いのでしょうか? 長文になり大変申し訳ありません。

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コウモリを殺してしまった

つい先ほど、家の中にコウモリが入ってきてしまい飛び回っていたので、虫捕り網で外に逃がしてあげようと思い網を振るっていました。 以前にもコウモリが入ったことがあり、その時も捕まえて外に逃がしてやれたため、簡単に考えていました。 ところが、振るっていた網がコウモリを直撃してしまい、コウモリは血を流して動かなくなってしまいました。 私は生き物が好きで、普段から虫なども殺さないよう気をつけています。 網を張っているとき、頭の隅で、コウモリに当たるかもしれないなと思っていましたが、そのまま振るい続けてしまいました。 翼を広げたコウモリは20センチほどあったように思いますが、ぎゅっとカラダを縮こませたみたいに死んでいました。頭か首のあたりから血がぷっくりと出てきていました。 その後、玄関先の植え込みに簡単ですが埋めました。 その時も、可哀想なことをしてしまって申し訳ない気持ちの反面、殺してしまったことで自分になにか悪いこと、バチが当たるんじゃないかと考えてしまいました。 そんな自分がとても醜く思いました。 コウモリの寿命は3〜5年程です。 あのコウモリはまだ子供だったかもしれません。 そう考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。 こういった間違いをしてしまったとき、どう対処したらよろしいでしょうか。

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