宗派とは 又は宗教とは
単刀直入に、僕の考えです。
お寺、宗派も病院と一緒で自分にあう所があると思ったます。
親が○宗だから、自分もいつか同じ宗派になるというのは普通な考えなのでしょうか?
僕は自分もそうだし、子供にも自分にあう宗教、宗派、お坊さんを見つけなさいと教えるつもりです。
何が正しいとかは無いと思いますが、やはり自分にあった宗教、宗派を選びたい。
だけど、自分はご先祖様がいたので今の自分がいる。
では、やはり先祖代々引き継がれているお寺がいいのだろうかと、どれをとればいいのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
100年ほど前まではお寺は地域に根ざしていた
先祖代々のお寺...という考えは、江戸期からの檀信徒制度に起源があります。
当時のお寺は、今のように法事や葬儀、仏壇参りやお墓の供養などをするだけでな、檀家の戸籍も管理していた、いわば役場のような役割がありました。
というのも、当時のお寺は幕府の方針で村ごとに、今で言う町内ごとに建立されていて、宗派などで分けられるというよりは地域、土地で分けられていたんです。
そして檀家のほとんどが農民でしたから、家族や一族まるごと、何世代もその地に根付いていた。なので、お墓もお寺も自然と先祖代々...となって行ったわけですね。
さて、それが現代社会に適しているかというと、正直全く適していません。
仕事も細分化され、核家族化が進み、人や家族も流動的になり、都会に人が集中したからです。
いまもなお風前の灯で残る檀家制度も、あと2、30年ほどでなくなるでしょう。
個人的には、それが時代の流れなら致し方ないと思います。全ては諸行無常ですし、仏教というのはその柔軟さや寛容さで国や時代を超えて伝わったのですし。
個人的には、あなたの考えに賛同しています。人によって、浄土思想に救われる人もいれば、禅の教えが必要な人、それぞれです。その人に必要な宗派・教義、また僧侶を見つけて信者になる自由さがこれからの仏教には必要でしょう。
ただ、お墓の相続などはトラブルになるケースも多々ありますので、どうか慎重に。
100年後の日本を描いて
お葬式や法事、お墓は個人の物ではありません。そこで手を合わせる一族みなの心の問題です。親戚付き合いが全く無ければ別ですが、個々人で勝手に突き進むと必ずトラブルになります。よくよくすり合わせて下さい。
さて、贖罪史観を抜きに考えると檀家制度の本質は親が子に、子が孫に語り継ぐ仏教です。実際のところ檀家制度が活き活きとしていた時代の方がよほど人々は仏教を理解し、実践し、信心していました。檀家制度は悪と言い出してから修行と言えば十三代目石川五右衛門の修業なイメージの人だらけになりました。
現実問題として家庭のあり方や転勤引越し当たり前うんぬんで檀家制度の基盤ガーという話は分かります。しかし、社会の変化に追従してお寺のあり方を考えましょうというのは私にはよく分かりません。
お坊さんって、考え方を発信する人ですよね。だったらお坊さんこそ社会の目指す方向を提言すべきだと思うんです。
20世紀最後の四半世紀あたりから日本は目指すところを間違え続けてきました。恋愛至上主義にしました→離婚率跳ね上がりました。夢や働き甲斐に燃える企業戦士量産を目指しました→過労死・自死・ニートだらけになりました。お客様は神様ですとしました→モンスタークレーマーだらけになりました。地域社会や一族の縁を薄くして個人主義にしました→生き甲斐が無くなりました。物理で隣の人よりネットで100km離れた友達と繋がるようにしました→SNS疲れしました。
ホントにこんな社会に追従していいんでしょうか?それじゃダメだって社会に気付かせるのが宗教ではないのでしょうか。
だから特にリアルの方の私は「親が子へ、子が孫へ語り継ぎたくなる仏教」を目指して説いています。仏教という生き方を媒介として、人と人との繋がりを再構築したいなと。仏教はお互い様の生き方なのですから。
そしたらきっと年長者が敬われ、若者が応援される世の中になるでしょう。一族や地域の長老が老害老害言われ、若者がとりあえず間違っとる認定される時代は、もう終わらせんといかんのです。
だから先祖は先祖、俺は俺、子は子なんて寂しいこと言わないでちょ。
檀家制度は嫌いでも、人と人との繋がりは嫌いにならないで下さい!
※家の祭祀としては特定の宗派(というより主治医のようなお坊さん)との繋がりが大切ですが、信心としては兼学しても良いんですよ。一神教ではないのですから
質問者からのお礼
すごく勉強になりました!
現実的に、相続など大変な事がありなかなか難しいかもしれません。
ですが、とても参考になりました。
ありがとうございます!