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年末年始の帰省が憂鬱です。

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度々質問させて頂いています、ぽち子と申します。

私は結婚して5年ほど経ちましたが、子供はいません。
そんな中、今年も夫の実家に帰省しなければならない時期が近づいてきてとても憂鬱な気分になっています。
毎年お盆と年末年始に数日間泊まりで帰省するのが、結婚後の慣例となっています。

義両親はとても真っ当な人なので、憂鬱に感じてしまう私が悪いということは分かっています。

なぜこんなにも憂鬱になるのか、自分なりに理由を考えました。

1)私は温かい家庭で育った経験がなく、家族団らんをしている義理家族に対して嫉妬心のようなものを感じる。

2)実の両親と心の繋がりが持てず大切にしてあげられていないので、義理の両親と交流を深め大切にすることは、実の両親に対して申し訳なく感じる。

3)帰省中、義理の両親と独身の義妹、私達夫婦で居ることが多く、私だけ話に入れず他人の私は邪魔ではないかと感じる。

4)私は摂食障害があり、皆と同じものを同じように食べるのが困難。

5)滞在中、心を休めることが中々できず、ストレスから帰宅後に過食嘔吐の衝動を抑える自信がない。

たくさん理由を並べてみましたが、自分を押し殺したように過ごさないといけないことが原因だと面白います。
義両親は良い人だとは思いますが、私の情緒不安定を知ったら、こんな人と結婚させなければ良かったと思うでしょう。
子供を作らないのは夫の希望でもありますが、私の精神病のせいだと思うでしょう。
だから、私は義両親の前では明るく気が利く嫁を演じなければなりません。

結婚した人は皆やっている当たり前の役割だということは分かっています。
でもとても苦しくて、絶対逃げられないと思うと死ぬしかないのだろうかと考えてしまいます。

甘えているのも、贅沢な悩みなのも、自分がおかしいのも承知しております。
何か心が楽になるようなお言葉をいただければ有難いです。

読んで頂いてありがとうございます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたはあなたで実家に帰っても良い

「そろそろ実家の両親が元気なくなってきたので、どうぞ水入らずでお過ごしください。」
この一言を全身全霊で一生分の力を込めてライトに言ってください。
夫の実感、あなたの実家、どっちも優位はありません。
なんであなたの実家のご両親と正月に過ごさないのか。
夫の実家にばっかり帰っているうちにあなたのご両親は今後あなたと過ごすこともなく死んじゃったらどうしますねん?
あなた自身が自分の牢獄に自分を幽閉させているだけです。さっさとそこに気づいて無理矢理義理の両親に付き合うという悪しき習慣を今年から止めることです。
ぶっちゃけ、ご主人の実家だって、あなたはさほど必要としていないのが世の中のダンナの実家の本音です。だとしたら、WIN-WINで帰らぬが吉。
ご主人だってあなたと実家に板挟みされずに済む。
あなたも実家に帰るもよし、のんびり過ごすも良しです。
私だったら、妻にはむしろそれを願います。自分の両親との時間を大事に過ごしてほしいからです。
義理の両親との相性はあります。
気遣いで疲れるなら行かない方がいいのです。
むしろ向こうにも気を使わせているはずですから、今年からあなたは自分の実家に帰るか、ゆっくりこたつに入ってモチとミカンとザ・テレビジョンだけあればいいんです。
うまく旦那を説得してください。
あなたの女性としての自立は今から始まっているのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

働きかける

本音と建前が交錯する数日間は地獄。
どう乗り切るか。もし料理が得意なら
台所に立たせてもらい一人の時間を作る。
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女性は結婚したら実家とは他人になるとご承知おきください。婚家先の人間となるのです。ご実家のご両親のことは考えないようにします。
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あなたばかりが婚家先に歩み寄るのはおかしい。もう婚家先の人間として、みな共に協調し合わねばならない。そのために
少しずつあなたの自然体を出して、そして義理のご両親たちがあなたを理解するように行動なり言葉で表現なさるとよいでしょう。
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5年目、そろそろあなたの天下取りをはじめてもよいタイミングですよ。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

演じなくてもいい

ぽち子さん、はじめまして。

年末年始の帰省で気が重いのですね。
ぽち子さんは良い嫁を演じなくてはいけないと思っておられるのですね。すべては自分のせいではないか。そう思うほど、良い嫁を演じなくてはいけないとはまってしまいます。

もう、演じることはやめましょう。
ぽち子さんにとっても、両親や義理の家族に対しても心が苛まれるだけです。

弘法大師空海は、すべてはあなたの心の中にあると言いました。
そのままのぽち子さんでいいのです。すごく勇気のいることですけれど。

ご自愛ください。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

お坊さま方、ご回答ありがとうございます。

丹下さまのおっしゃるように行きたくないという気持ちに正直になるべきか、法華塔さま、中村さまのおっしゃるように義理家のなかで上手くやっていけるよう頑張るべきなのか、わからなくなってしまいました。

正解はあるのでしょうか?

煩悩スッキリコラムまとめ