49日法要を終えて
先日49日法要が終わり納骨も済ませて、家に帰ると何だか心にぽっかりと穴が開いたような
もういないんやなと思ってしまいます。
忌明けまでまだ数日ありますので、御供やお花など納骨前と同じようにしていますが
なんだか寂しいような、変な感じなんですが
この感情でおかしいのかな?などど考えてしまいますが
どうなんでしょか?
あとお線香を二本にするのは忌明けからでしょうか?
仏壇はないんですがおちゃ、お水、ご飯は毎日あげたほうがいいのでしょうか?
それとも写真を飾るだけでいいのでしょうか?
すみません教えて下さい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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四十九日を終えた私がそうでした
四十九日までは緊張というか、気が張っているというか、何というか「四十九日を勤めなければ」みたいな張り詰めたものがありますね。そして、法要が済むと気が抜けてしまい、虚無状態というか脱力感がのしかかるという状態に陥りがちです。私もそうでした。同じですね。
お仏壇はお持ちでなくても、法要をお勤めになったのですから、お寺さんとの繋がりはあるのでしょう。よく話を聞いてくださるご住職や奥様でしたら、お寺の人に今の思いを聞いていただくことをお勧めします。お寺さんが話を聞いてくださるのではないのでしたら、遺族の会に参加される、または電話窓口のあるグリーフケアの会に電話してみる、また私でよければご連絡ください。滋賀県、了教寺、藤岡俊彦という情報があれば簡単に電話番号やメールアドレスを調べていただけるものと思います。
お線香のことは、私は浄土真宗本願寺派なので他のご宗旨のことは分かりません。私の宗派ではお線香の本数に定めはありません。お花等はお仕事はご家庭などに差し障らないなかで、丁寧にお飾りなさったらよいと思います。お仏壇もかならずしも立派な高価なものでは必要でなく、御本尊と御本尊を納めるお厨子だけでもよいと思います。大きさはともかく手を合わせる仏様がおいでになった方がよいということです。
お線香を2本にする?
私の場合、檀家さん宅のお仏壇でお参りするときに、お線香を半分に折って2本にし、2本とも火をつけて立てる場合があります。
理由は、宗教的な意味はありません。
お線香を長いまま使うと燃えた灰が飛び散りやすいので、私は、短い時間で済むお参り(線香半分が燃え尽きる時間内)の場合、線香を半分に折って短くして使っています。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
元々は、禅宗ときいてますが、母は永代供養に選んだところは真言宗智山というところで
正直わかりません
ただ嫁ぎ先が二本なのでそうなのかな?と思い質問させてもらいました
ですが、母は嫁ぎ先ではなくきちんとしてあげたい気持ちもあり
正直迷う事ばかりで情けないですが
けど共感していだだいた事凄く嬉しいく思います。
ありがとうございます
回答ありがとうございます
そういう方法もあるんですね
家にはまだ、小学生のちびがいるので、火の心配が減りそうです