おじの介護
現在実家には両親がふたりで暮らしており
私はバツイチ独身で隣県にて生活しています。
母親側におじがふたりいてどちらも独り身で
それぞれ生活をしていました。が、
ひとりが事故に遭い、姉である母が引き取って
介護をしています。またもうひとりの伯父も
あまり体調が芳しくないようでいつ介護が必要になるかもしれません。
母親の性格からして元気である以上は
自分の兄弟の介護もすると思うのですが、母親自身が
疲れてしまうのではと心配でなりません。
いずれは両親とおじ二人の四人を私が見なければいけなくなるのかと思うとそれはそれで将来に不安しかありません。裕福であれば施設で十分なサービスを受けさせてあげることも可能でしょうがそれも難しいです。
私自身、離婚して7年ほど経ち縁があればまた再婚なども考えることになるかと思いますが、世話しなければいけない身内がこれだけいたら誰も一緒にはなってくれませんよね(笑)
最近では残りの人生は介護に費やし自分自身は孤独のうちに死んでいくのかなぁなんて思います。
生まれたときからお世話になっている両親やおじですからもちろん出来ることはしてあげたいし、臨終の際にはそばで立ち会いたいとも思います。
おじのほうでも私に面倒はかけたくないと思っていることでしょうし、ふたりのおじの心中も察することもできます。
このような状況ですが仏教的にどう考えて生きていけばよいのでしょうか。
相談というか、この状況を誰かに聞いてもらいたいだけなのかもしれませんが、考え方の指南を示してもらいたく書き込ませて頂きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「なる様にしかなりません」・・・冷たい様ですが・・・。
色々、辛い事や心配な事がおそってきて大変ですね・・・。一休さんのお言葉に❝心配するな 何とかなる❞というものがあります。「何を呑気な事!」と怒らないで下さい。
しかし、まだ起こっていない先の事を色々考えても、どうにもなりません。とにかく今はお母さんの健康に気を配って下さい。介護は本当に大変です。小生も認知症の実母の介護で「うつ病」になりました・・・。
おじ上やご両親の介護・・・、確かに考えるだけで「シンドイ」でしょう・・・。特に、お金のことは・・・。しかし、「なる様にしかなりません」。悩んだからと言って問題解決にはなりません。本当に困った時には、「生活保護」を申請しましょう。役所の「福祉課」などの悩み事相談を受けてみましょう。
とにかく、お母様が倒れる・・・というのが「最悪」のパターンです。まず、それを一番に考えながら、一日一日地道に確実に歩んで下さい。
ちなみに一休さんの言葉、もう一つ❝慌てない あわてない 一休み 一休み❞。なお、小生は「あわてない」を「あせらない」と置き換えて、時々言ってます・・・。合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。確かにまだ起こってもないことについてあれこれ思い悩んでも仕方がないですよね。
今を懸命に生きることが仏教の教えにもあったように思います。未来にとらわれすぎず1日1日を焦らず着実に歩んでいきたいと思います。ありがとうございました。